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聖書の教える死後の世界

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ローマ教皇のイスラエル訪問が終... ローマ教皇のイスラエル訪問が終了しました。
これらの数字は、今回の訪問に関するものです。
★2日=滞在日数。
★約1,000枚=お迎えのためにエルサレムに翻った旗の数。
★約8,500人=警護に当たった人の数。
★3箇所=教皇が訪れた聖地の数。
★1枚=教皇が西の壁に入れたメモの枚数。

⑴「眠る」という表現について
・肉体について使われている言葉であり、霊魂については使われていない。
・信者に対してのみ使われている表現である。
・肉体の復活が約束されている視点からすれば、死は一時的な肉体の休止状態に過ぎない。

「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」
すると、彼らはイエスをあざ笑った。」
(マタイ 9:24)


⑵死後には意識のある状態に置かれる
ルカ16章のアブラハム、ラザロ、金持ちにはそれぞれ意識があった。

⑶死の意味について
・信者は、死の瞬間に神の臨在のもとに入る。
・それは地上生涯よりも勝るものである。

「6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。
ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。
7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
8 私たちはいつも心強いのです。
そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています」
(2コリント 5:6-8 )


⑷死の瞬間に永遠の運命は不動のものとなる。
・最後の裁きは肉体において行った業に基づいて執行される。
・中間状態の状態が裁きのベースにはならない。

「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、
わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、
わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
(マタイ 10:32-33)


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