神の同行がなくては生きて行けない国
1月
7日
「あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
聖書でこのみ言葉が繰り返されているが、
その意義を知り、深く味わってみよう。
1) 申命記31:6 :モーセが主の言葉として民に伝えた
「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。
主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 」
2) ヨシュア1:9 :神がヨシュアに語られた
「わたしはあなたに命じたではないか。
強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
3) 1列王記8:57 :ソロモンが神殿奉献の際、民を祝福した言葉
「私たちの神、主は、私たちの先祖とともにおられたように、
私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように。 」
4) 1歴代誌28:20:ダビデが神殿建築をソロモンに委任した際に
「それから、ダビデはその子ソロモンに言った。
「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない
。おののいてはならない。
神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから--。
主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、
主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。 」
5) ヘブル書13:5 :全ての信者に対する神の言葉
「金銭を愛する生活をしてはいけません。
いま持っているもので満足しなさい。
主ご自身がこう言われるのです。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
繰り返しこのように教えられているのには訳がある。
私たちは恐れにいとも簡単に取り付かれてしまうからである。
病や死、経済的な困窮、いや目の前の試験や仕事にも恐れを抱く。
だが、その必要はないと主はおおせられる。
主ご自身が私たちとともに歩いてくださるからだ。
イスラエルの国が置かれたその場所は、
地球上のどの場所にも勝ってストレスを感じざるを得ないところであった。
民は常に恐れと同居していた。
どうしてその場所が困難であるといえるか、大きな3つの理由を示そう。
① 地政学的見地
イスラエルの地は「乳と蜜の流れる」一等地であることには間違いなくても、
アフリカ・ヨーロッパ・アジア3大陸の接点、陸の回廊に位置している。
ゆえに古代から戦争の絶えない場所であり、
有力な帝国が勃興すると他の国々を蹂躙するための通り道となってきた。
バビロン、アッシリア、エジプト、ギリシア、ローマ、トルコ、イスラム、イギリス、、、
これらの大国に占領されて来たのは、
その戦略の上で重要な地に位置しているからに他ならない。
② 地理的状況
この地には大きな川がない。
隣接する大国は、
ナイル川やチグリス・ユーフラテス川が年中大地を潤していて
大規模な灌漑農業による大生産地となっていた。
ところがイスラエルに灌漑農業は不可能であり、
冬季の降雨に頼るしかなかった。
人為的な方法で水の確保ができないとき、
人々は天を仰ぎ、不安な気持ちを押し殺して神に祈るほかない。
現在のイスラエルでも雨量は国民の大きな関心事となっている。
③ 民族的宿命
ヨシュアによって約束の国に定住した時から、
その周囲には敵対的な諸国家が隙あらば攻め込もうと目を光らせていた。
その中でもイスラエルと親戚関係にある民族が執拗な悪行を繰り返していた。
死海東方や南部に広がる国はエドムであり、
それはヤコブの双子の兄弟エサウを先祖に持つ民族である。
ヨルダン川東方には、アモンとモアブがいるが、
それらはアブラハムの甥であるロトの二人の娘たちが
近親相姦によって設けた民族である。
このように、イスラエルの与えられた約束の地とは、
決して安閑としていられるところではなく、常に緊張を強いられている地である。
日本は水と安全はタダと言われるが、彼らにはそれが根底から欠如していた。
ゆえに天を仰いで神を求めるより他に、
自力では解決不能な困難をやり過ごす方法はなかったのである。
いわば、信仰心を発揮せざるを得ない道場に置かれていたといえよう。