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御国に入るために To enter the Kingdom of God

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2014年8月3日日曜日礼拝 音声はyoutubeからhttp://youtu.be/7OSWlc2fO1g

音声と書いたものは若干違う場合があります。語っているときに、聖霊様からいろいろとダウンロードしながら語るからです。ぜひ、オーディオの方も訪れてください。バイリンガルなので、英語が聞きづらいと思いますが。。。。

マルコ10:13-27

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。17 イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。19 戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」20 すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」21 イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」22 すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
今日の箇所で、イエス様は、神の御国に入るために必要なことを語られました。救いを受けるためにも必要ですし、この地上で神の御国の中を歩み続けるためにも必要です。

★ 子どものように受け入れる

イエス様にさわってもらおうとして、子どもたちがイエス様のところにやってきました。すると弟子たちが止めました。そこでイエス様は、言われました。。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」“Let the little children come to Me, and do not forbid them; for of such is the kingdom of God. 15 Assuredly, I say to you, whoever does not receive the kingdom of God as a little child will by no means enter it.”

神の国は、このような者たちのものです。For of such is the kingdom of God. と。

子どもとは、どのようなものでしょうか。私たちは、子どもらしいということは、決して大人になっては誉め言葉ではありません。しかし、イエス様は、子どものようになれと言われます。では、子どものどのような性質が必要とされているのでしょうか。

① 非理性的であること irrational

違う言葉で言えば、様々な道理reasonが彼らの行動を制限しないということです。大人は、どうでしょうか。いろいろと頭で計算して、道理で判断し、また人にどう見られるかを気にして、「これはやめておこう。」と言うのです。説教者ジョセフ・ガーリントンの信仰ついてのメッセージで私の好きなフレーズがあります。”Get the ‘how’ out of here.” 「どうやってと考えることを辞めろ」というものです。道理、方法にこだわっている限り、信仰はないのです。信仰がなければ、神の国に入ることはできません。聖書は信仰についてこう言っています。「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. ヘブル11:1

② 純粋である Pureness

子どもは失敗を恐れません。やってみたいという気持ちの方が強いのです。その気持ちは、夢から来るのです。目の前の現実よりも夢を重要視します。子どもは、非常に理想主義者です。完全主義者でもあります。善があるなら、善を通したらいいと考えています。真剣に世の中のみんなが仲良くしたらいいと信じています。大人は、今の現状と経験から判断して、妥協をすることを奨め、そして、理想をあきらめ、そして、失敗を恐れます。子どものような純粋さを失うならば、私たちに夢はありません。夢が無いなら、よりよい現実はありえません。聖書は信仰についてこう言っています。「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. ヘブル11:1

さあ、私たちは、子どものような資質を持っているでしょうか。御国を体験し続けるには、この資質がなくてはなりません。
子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。
子どもたちは、道理ではなく、信仰で御国を受け入れます。また恐れなく、現状に捕らわれず、自分の夢、理想にしたがって御国を受け取ります。

★ 自分に纏わりつくものを捨てる

また、イエス様のところに一人の正しい青年がやってきました。どのようにしたら永遠のいのちを得ることができるだろうか。聖書に書かれていることは守っているというのです。イエス様は、v21「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」“One thing you lack: Go your way, sell whatever you have and give to the poor, and you will have treasure in heaven; and come, take up the cross, and follow Me.”

この青年は、正しい人であったにも関わらず、宗教の域を超えていませんでした。もう一度言います、宗教は、自分で業をして神に到達しようとするものです。彼は、律法を守っていました。しかし、守るということで、自分の達成感を得ていたのでした。しかし、永遠のいのちに関する確証をこころに持つことがありませんでした。それは、なぜでしょうか?

イエス様は、この青年に、財産を手放すように言われました。それから、イエス様についていくことを。

神の国は、どれだけ達成したかで入れるのではありません。神の国は、どれだけ神を信頼しているかによります。自分の業ではなく、信仰によって入るのです。
どれだけ達成するかが問題であるなら、このような疑問がでてくることでしょう。自分は、ここまでしているのに、どうして神は私をかえりみてくれないのだろう。神は、私に答えてくれない。などと。私たちもこのような思いになることがあるのではないでしょうか。これは、自我です。達成することで、神の好意を得ようとしてるのです。また、自分の思うとおりに結果をだそうというわがまま/自我です。イエス様は、この青年のこの部分を取り扱いたかったのです。

この青年は、多くの財産を持っていました。人は、多く持っていると、けちになります。あるテレビ番組で実験していました。レストランに行って、人に食べもをくれるように願っても、誰もくれません。でも、たった今、食べるものを道行く人にもらった道端のホームレスに食べ物を求めたら、そのホームレスは持っているものの半分を分けてあげました。人は、持てば持つほど、持っているものに執着するものです。
この青年にとっては、富は、手放すことが難しかったのです。

神の国に入るには、何かを捨てなければ入れません。
それは、自分の中で一番大切にしているもの。神より大切にしている偶像です。また、自分のわがままな心です。自我です。これらを捨てて、イエス様についていかなければ、神の国に入ることはできません。

また、神の国の働きをするなら、このような生き方を要求されます。

★御国のメッセージ …「どんなことでも神にはできるのです。」

そのあと、イエス様は言われます。V24 「子たちよ。神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」“Children, how hard it is for those who trust in riches to enter the kingdom of God! 25 It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for a rich man to enter the kingdom of God.” 26 And they were greatly astonished, saying among themselves, “Who then can be saved?” 27 But Jesus looked at them and said, “With men it is impossible, but not with God; for with God all things are possible.”

人にはできないが、神にはできる。これが、私たちへのメッセージです。Get the “how” out of here. です。道理ではなく、神にはできるといわれる、神様に信頼しましょう。

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