義母に寄生している義弟さんが、あなたになんか用事でもあるのですか。 弁護士の答えは決まっています。以前書いたように、法に則って進めるってことです。 義母が他界したら、弟さんにも知らせず、相続の放棄もできますから。腐れ縁を断ち切って、清々しましょう。 弟さんにどんな用事があるか、知りたいものです。 「入院費用を払ってくれ」かもしれませんね。
残念ながら、 ①被相続人の指定(遺言などがあった場合)、 ②慣習、(その土地の習慣・長男が継ぐとか) ③家庭裁判所の選択(裁判所に決めてもらう) などで祭祀承継者に選ばれると、祭祀承継者になることを拒否することはできません。 でも、昔の墓はいらないと処分はできます(祭祀承継者は法律上、必ずしも祭祀を主宰する必要はなく、祭祀財産を処分することもできます) ■この3択で、うちはどうなるだろうなぐらいは、構えておいたほうがいいのでは?
◯お墓の祭祀承継は拒否できるのか 残念ながら、被相続人の指定、慣習、家庭裁判所の選択などで祭祀承継者に選ばれると、祭祀承継者になることを拒否することはできません。 相続人は相続放棄の手続きにより、相続人としての地位を拒否することができますが、祭祀承継者には相続放棄のような制度はないのです。 祭祀承継者は法律上、必ずしも祭祀を主宰する必要はなく、祭祀財産を処分することもできます。
120通出していた年賀状が、15通に減っています。来た人だけに、返事を出します。老前整理です。 大学時代の友人たちには、2度と会うことはないけれど、青春時代を共に過ごした、かけがえのない思い出は、心のなかで生きています。 時間、空間を超えて、繋がっているだけでしあわせ感があります。「失って、虚しい」とかいうより、自分の宝物になっています。 ◯感情を受け入れる ■ 時折悲しさや寂しさが湧き上がってくることもあるでしょう。 その感情を受け入れ、必要であれば誰かと分かち合うことが大切です。 ◯人は時折、過去の出来事や人々との別れに対処するのが難しいことがありますが、その中で新しい意味や価値を見出すことができるかもしれません。
◯思い出を大切に ■ 失った人との思い出が自分にとって特別なものであるなら、それを大切にし、時折振り返ることで、彼らの存在を感じ続けることができます。 ◯新しい経験を楽しむ ■ 人は出会いと別れを繰り返すものです。 新しい友達や経験を通じて、過去の悲しみにとらわれずに前に進むことができます。
年老いて、学生時代を共に過ごした友人とは、もう2度と会えないと思います。 でも思い出は、昨日のことのように、心のなかに鮮やかに残っています。 思い出を抱いて生きてゆくだけで、しあわせ感はあります。 あなたは、こんな2度と会えない人がいるのを、心のなかでどう整理していますか。
漢字の「海」には「母」が包摂されている。 フランス語の海=mer(メール)は、母=mere(メール)と綴りは違っても同じ発音で、やはり共通の意味性を持つ。 母なる海の持つ大切さを、海女は私たちに伝承する役割を持っている。 海の響きはすなわち命(いのち)の響きでもある。(旅行新聞より)
なぜ「私の耳」が「員の殻」かということにある。 誰でも掌で耳をすつぱり覆つたり、コップを耳にかぶせて遊んだことがあると思う。 その時間こえる音は、風の音だろうか。 普段は意識していない周囲の音が、覆われた空間の中で反響しあうのだろうか。 それとも耳の中の、血液が流れる音を拾っているのかも知れない。 浜辺で見つけた二枚員や巻き貝を耳に当て、それを海の音と称する遊びもまたごく普通に行われることだ。 (「百億の昼と千億の夜」光瀬龍より) ■ちばてつやの「島っ子」という漫画かもしれない。コクトーのこの詩。
さて、なぜ「私の耳」は「海の響きをなつかしむ」のだろう。 それは「私」に限ったことだろうか。 ある人は、生物は皆海より進化したと言い、また別の人は、それに意識下の「無意識」の広がりを象徴させる。 誰もが血液として「海」を体内に抱えていると言った人もある。