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ボンビーでもしあわせのカタチはあります

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田舎に帰ってン十年。もう2度と会えない学生時代を共に過ごした友人たち。

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「過去にとらわれないで■人は出...
「過去にとらわれないで■人は出会いと別れを繰り返す」ってことですね。
120通出していた年賀状が、15通に減っています。来た人だけに、返事を出します。老前整理です。
 
大学時代の友人たちには、2度と会うことはないけれど、青春時代を共に過ごした、かけがえのない思い出は、心のなかで生きています。
 
 
時間、空間を超えて、繋がっているだけでしあわせ感があります。「失って、虚しい」とかいうより、自分の宝物になっています。
 
◯感情を受け入れる
 
■ 時折悲しさや寂しさが湧き上がってくることもあるでしょう。
 
その感情を受け入れ、必要であれば誰かと分かち合うことが大切です。
 
◯人は時折、過去の出来事や人々との別れに対処するのが難しいことがありますが、その中で新しい意味や価値を見出すことができるかもしれません。

ワオ!と言っているユーザー

思い出は、昨日のことのように、心のなかに鮮やかに残っています

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◯感謝の気持ちを抱く: その人...
◯感謝の気持ちを抱く: その人との経験から得たものに感謝し、共有した喜びや学びを思い返すことができます。
◯思い出を大切に
 
■ 失った人との思い出が自分にとって特別なものであるなら、それを大切にし、時折振り返ることで、彼らの存在を感じ続けることができます。
 
◯新しい経験を楽しむ
 
■ 人は出会いと別れを繰り返すものです。
 
新しい友達や経験を通じて、過去の悲しみにとらわれずに前に進むことができます。

ワオ!と言っているユーザー

過去にとらわれないで■人は出会いと別れを繰り返す

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失った人との思い出を抱えること... 失った人との思い出を抱えることは、悲しさや寂しさを引き起こすことがありますが、同時にそれらの思い出が生き続けることで、喜びや感謝の気持ちも生まれることがあります。

彼らとの経験を大切にし、それを通じて成長や学びを見出すことができます。
年老いて、学生時代を共に過ごした友人とは、もう2度と会えないと思います。
 
でも思い出は、昨日のことのように、心のなかに鮮やかに残っています。
 
思い出を抱いて生きてゆくだけで、しあわせ感はあります。
 
あなたは、こんな2度と会えない人がいるのを、心のなかでどう整理していますか。

ワオ!と言っているユーザー

貝たちは海の響きを奏でている コクトーの詩(2)

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ジャン・コクトーの1行詩を、詩... ジャン・コクトーの1行詩を、詩人・堀口大学が日本語に訳した。

堀口はこの1行詩の題を「耳」と表現した。

詩は“私の耳は貝の殻、海の響きを懐かしむ”という本当に短いものであるが、私はこの詩に中学生のころに出逢った。

 
初版本はネットで10万円ぐらい...
初版本はネットで10万円ぐらいで売られていた。
「私の耳は貝の殻、海の響きを懐... 「私の耳は貝の殻、海の響きを懐かしむ」

初版本戦前『月下の一群』堀口大学訳

長谷川潔自刻木版第一書房大正14年)堀口大學/佐藤春夫/砂の枕/背革箔押装
漢字の「海」には「母」が包摂されている。
 
フランス語の海=mer(メール)は、母=mere(メール)と綴りは違っても同じ発音で、やはり共通の意味性を持つ。
 
母なる海の持つ大切さを、海女は私たちに伝承する役割を持っている。
 
海の響きはすなわち命(いのち)の響きでもある。(旅行新聞より)

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コクトーの名前を知ったのは、この漫画だったかもしれない。

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その貝が生きる場所であり、殻と... その貝が生きる場所であり、殻となつては、果てなく洗われ続けた海の響きを懐かしむとすれば・・・・・
なぜ「私の耳」が「員の殻」かということにある。
 
誰でも掌で耳をすつぱり覆つたり、コップを耳にかぶせて遊んだことがあると思う。
 
その時間こえる音は、風の音だろうか。
 
普段は意識していない周囲の音が、覆われた空間の中で反響しあうのだろうか。
 
それとも耳の中の、血液が流れる音を拾っているのかも知れない。
 
浜辺で見つけた二枚員や巻き貝を耳に当て、それを海の音と称する遊びもまたごく普通に行われることだ。
 
(「百億の昼と千億の夜」光瀬龍より)
 
■ちばてつやの「島っ子」という漫画かもしれない。コクトーのこの詩。
 

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なぜ「私の耳」は「海の響きをなつかしむ」のだろう

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なぜ「私の耳」は「海の響きをな...
さて、なぜ「私の耳」は「海の響きをなつかしむ」のだろう。
 
それは「私」に限ったことだろうか。
 
ある人は、生物は皆海より進化したと言い、また別の人は、それに意識下の「無意識」の広がりを象徴させる。
 
誰もが血液として「海」を体内に抱えていると言った人もある。

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コクトーとの出会いは、中学か高校校時代の 「ちばてつや」の漫画だつたと思う。

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五十嵐ミチは小学5年生。 パパ... 五十嵐ミチは小学5年生。

パパとママと一緒にここ鬼ヶ島にやって来た。

地質学者のパパは温泉の発掘に情熱を燃やし、到着してすぐに作業を開始。

でも、島の人たちは協力してくれるどころか、妨害工作をしてミチたちをなかなか受け入れてくれない…。

さらに、パパの助手たちが、いつまでたっても結果が出ない仕事に嫌気が差して、五十嵐家のお金を持ち逃げ!一家の島暮らしは前途多難の予感……。
コクトーとの出会いは、中学か高校校時代の「ちばてつや」の漫画だつたと思う。
 
文学史のテストに出てくる堀口大学「月下の一群」とは、こんな内容だつたのか…・と思つたものだ。

ワオ!と言っているユーザー

川の流れを時の流れにたとえ、そこに人間の愛のはかなさを重ね合わせている。

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川の流れを時の流れにたとえ、そ...
この詩はマリー・ローランサンとの短いが激しい恋を歌ったものだといわれてきた。川の流れを時の流れにたとえ、そこに人間の愛のはかなさを重ね合わせている。
 
ミラボー橋 Le pont Mirabeau
  ミラボー橋の下をセーヌが流れる
  我らの愛も
  忘れないでおこう
  苦悩の後には喜びがあることを
  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる
  手をつなぎ 顔を見詰め合おう
  つないだ手の
  下にはゆったりと
  永遠のまなざしが流れていくだろう
  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる
  愛は過ぎ去る 水の流れのように
  愛は過ぎ去る
  時は遅々として
  希望ばかりが激しくせまる
  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる
  日々が流れ 月日はたつ
  過ぎた時も
  消えた愛も戻らない
  ミラボー橋の下をセーヌが流れる
 
■シャンソンの歌詞より、堀口大學の翻訳のほうが格調が高くて好きです。

ワオ!と言っているユーザー

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ、われらの恋が流れる・・・・・・

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ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ... ミラボー橋の下をセーヌ河が流れわれらの恋が流れる

わたしは思い出す

悩みのあとには楽しみが来ると

日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る

手に手をつなぎ顔と顔を向け合おう

こうしていると

二人の腕の橋の下を

疲れたまなざしの無窮の時が流れる

日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ...

ワオ!と言っているユーザー

「月日は流れ、わたしは残る」

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時の流れから連想したのが、アポ... 時の流れから連想したのが、アポリネールの「ミラボー橋」の詩である。

訳は何種類かあるが、堀口大學のこの訳が大好きだ。

「月日は流れ、わたしは残る」というフレーズはさすがだなと思う
が、わたくし的に気になるのが「日も暮れよ、鐘も鳴れ」という訳である。

どこかの学生が訳した「夜が来る 鐘が鳴る 日は過ぎ行き私は残る」の前半はシンプルでいいと思う。

もちろん堀口大學の「月日は流れ、わたしは残る」は最高だ。なにはともあれ、全文を読んでみよう。(次回へ)

ワオ!と言っているユーザー

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