「中尊寺」日帰り旅情編・・・(6)
6月
21日
>嘉祥3年(850)慈覚大師(じかくだいし)が東北巡遊の折、
この地にさしかかると一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。
前方に白鹿がうずくまっていました。
大師が近づくと白鹿の姿は霧のなかへ消え、
やがてどこからともなく一人の白髪の老人が現れ、
「この地は霊地であるから堂宇を建立するなら仏法が広まるであろう」と告げました。
大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、
一宇の堂を建立し嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。
これは毛越寺の開山にまつわる話です<
毛越寺の開山にまつわる伝承ですね。
二代 藤原基衡、三代 藤原秀平の時に堂塔40、僧坊500を数え、
「中尊寺」を凌ぐ規模になりましたが、
藤原氏滅亡とともに灰燼に帰してしまいました・・・。
昭和29年より5年間発掘調査され、
平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
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