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ギター余話

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(14)

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物凄い規模だったということが分... 物凄い規模だったということが分かります。
道を挟んで右側の泉は失われてますね。

毛越寺伽藍の復元図・・・。

今まで歩いてきた道に立っていた伽藍の規模の大きさが分かりますね。
今は礎石しか残ってないのですが、
この復元図を見てると、
往時の風景が想像できますね。

東北の地にあって、
これだけの建物と文化を育んだ藤原氏三代の時代。
非常に豊かな時代だっと思いますね。
戦争もなく100年の間栄えた平泉。

源頼朝によって滅ぼされたわけですが、
頼朝の居た関東よりもはるかに文化が栄えていたと察せられます。
頼朝に破壊されたり年月とともに崩壊したりで、
ほとんどが失われてしまいましたが、
そのあとに立ってみると、

>夏草や兵どもが夢の後<

芭蕉の句がぴったりかも・・・。

>クリックで大きくなります<

#旅行

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エメラルド
エメラルドさんからコメント
投稿日 2014-06-26 20:27

立派な建物だったのですね。
中尊寺旅行、ますます行きたくなりました〜!(^_^)

ワオ!と言っているユーザー

Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2014-07-05 10:56

大伽藍だったんですね。
源頼朝の侵攻の時にかなり焼き払われてしまったんですね・・・。

この規模を人工で作ったというのに驚きです。
この当時の技術力というのも凄いですね・・・。

ワオ!と言っているユーザー

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dote
doteさんからコメント
投稿日 2014-06-27 07:58

物凄いですね
当時どれだけ権力があったのか判り知れますね

ワオ!と言っているユーザー

Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2014-07-05 10:58

奥州藤原氏の権勢というのはいまの時代では推し量ることができないですね・・・。

これだけの大伽藍を造営する資力も桁違いだったと思います。

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