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約1ヶ月ぶりの更新となります。 国鉄改革の方策として期待された、生産性運動は、確実に国鉄の職場を変えていきつつある雰囲気でした。 それは、組合員の数にも顕著に現れていきました。 生産性運動は、国労・動労組合員の脱退を加速させた 国労・動労を脱退して、鉄労に移籍する組合員が増えていったのです。 ストラ...
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圧倒的な成果を上げていった生産性運動 マル生運動は一定の成果を上げる事に成功し、職員の中にはマル生運動後積極的に改善活動に参加したり、職場環境改善のための整備を始めるなどの一定の成果が見られました。 この辺は、動労の松崎委員長も、「国鉄動力車」松崎明・谷恭介共著で下記のように書かれています。 国鉄労...
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話は、前後しますが。やはりマル生運動に関して、概要を書いておかないと延滞が見えなくなると思いますので、簡単に時系列を書かせていただきます。 生産性運動【マル生運動】とは 昭和45年4月から始まった運動で、昭和46年10月には中止に追い込まれた運動 簡単に時系列を示します。 昭和44年11月 運転指導...
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2か月ほど放置状態になってしまいました、こうして改めて記述をしようと色々と調べていきますと、私の無知を改めて知らされることとなります。 まぁ、その都度blog等は修正していくことになりますが。色々と面白いことが見えてきました。 国鉄では、新幹線整備計画が昭和46年1月に決定しますが、国鉄の赤字は引き...
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全国に新幹線を敷設しようとする膨大な計画 全国新幹線鉄道整備法は、日本全国に高速鉄道(新幹線を建設しようという構想で、現在の整備新幹線構想の基礎となっているものです。 決定までの流れ 当時の政府が掲げていた、「経済社会発展計画」に呼応して国鉄が太平洋岸縦断新幹線(盛岡~博多間〉を提案したのが始まりで...
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前回は、宿泊でお寺に泊まることが出来ると書かせていただきました。 改めて、もう少し詳しく書かせていただこうと思います。 2年目のキャンペーンと言うことで、かなり新しゅう取組が行われていることが窺えます。 丁度、国鉄ではマル生運動も始まった頃であり、若手の国鉄職員を中心に国鉄を変えようという意識があっ...
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万博輸送その後の計画されたキャンペーン 国鉄は1970年10月に万博終了後の旅客確保対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が開始されました このキャンペーンの目的は、経済成長により可処分所得が増えたことや、万国博覧会を経て、個人旅行の機会が増えたこと等から更なる旅行者の誘発を...
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首都圏から蒸気機関車引退 新鶴見操車場から横浜港を結んでいた、高島貨物線が電化されるのに伴い、それまで使用されていた蒸気機関車が廃止になることに伴い、昭和45年10月10日、11日、18日に東京駅~横浜港間をD51形蒸気機関車が牽引する旅客列車が走りました。 東京駅に、蒸気機関車が入線するのは、13...
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万博輸送後のダイヤ改正 大阪府吹田市千里丘丘陵で開催された、日本万国博覧会(Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として開催されました。 期間中の入場者数は、6,421万...
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ユニークな臨時列車 万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。 国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となって...