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"#マル生運動"の検索結果
  • 生産性運動(マルセイ運動)と国鉄 第三話

    約1ヶ月ぶりの更新となります。国鉄改革の方策として期待された、生産性運動は、確実に国鉄の職場を変えていきつつある雰囲気でした。それは、組合員の数にも顕著に現れていきました。生産性運動は、国労・動労組合員の脱退を加速させた国労・動労を脱退して、鉄労に移籍する組合員が増えていったのです。ストライキを容認する、総評系の国労・動労総評を上部団体とし、ストライキを容認する、国労・動労動労は機関車乗務員ならびに関連する職場の職員のみを組合員とする単一組合であり、国労が非現業から、駅、乗務員などをすべて網羅する職場であったことが大きく異なります労使協調路線を標榜する、鉄労昭和32年の新潟闘争を経て非現業系の...
  • 生産性運動(マルセイ運動)と国鉄 第二話

    圧倒的な成果を上げていった生産性運動マル生運動は一定の成果を上げる事に成功し、職員の中にはマル生運動後積極的に改善活動に参加したり、職場環境改善のための整備を始めるなどの一定の成果が見られました。この辺は、動労の松崎委員長も、「国鉄動力車」松崎明・谷恭介共著で下記のように書かれています。国鉄労働者の中・高年層は、その殆どが高等小学校(現在の中学校程度)を卒業して国鉄に就職している、実際、国鉄の場合は本社採用のごく一部のキャリアと呼ばれる人以外は管理局採用で有り、試験によらず臨時雇用員等で採用され、そのまま本採用になる人も多く、これは現業機関で有る郵便局でも同じようなものでした。特に小さな郵便局...
  • 生産性運動(マルセイ運動)と国鉄 第一話

    話は、前後しますが。やはりマル生運動に関して、概要を書いておかないと延滞が見えなくなると思いますので、簡単に時系列を書かせていただきます。生産性運動【マル生運動】とは昭和45年4月から始まった運動で、昭和46年10月には中止に追い込まれた運動簡単に時系列を示します。昭和44年11月 運転指導者研修【試行的な生産性運動の導入】昭和45年4月 生産性運動開始この後、国鉄でも生産性本部だけでなく、生産性本部のカリキュラムに沿った形で生産性運動を開始昭和46年 9月頃~国労がマスコミを使った反マル生キャンペーンを開始、昭和46年10月 磯崎総裁、国会で陳謝、マル生運動は中止に追い込まれることになるマス...