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投稿日 2017-11-15 07:35
神戸:ファルコンの散歩メモ
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ファルコン
1982(昭和57)年の11月15日。上越新幹線が大宮~新潟間で開業しました。全列車が東京駅まで乗り入れているため、旅客案内上は東京駅から新潟駅までが「上越新幹線」と案内されています。開通当時の列車名は、停車駅の少ない速達タイプが「あさひ」、各駅停車タイプが「とき」でした。開業35周年を記念して、...
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投稿日 2017-11-14 16:31
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阪神電気鉄道と近畿日本鉄道は、
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投稿日 2017-11-14 15:31
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阪神電鉄と近鉄は、阪神版「伊勢神宮初詣割引きっぷ」を発売すると発表しています。阪神電鉄各駅(高速神戸線除く)からの往復乗車券と近鉄の特急券引換券、松阪~賢島間のフリー区間乗車券と特急券引換券(2枚)がセットになったものです。また、伊勢神宮で「干支置物」と交換できる「記念品引換券」と、伊勢志摩の特産品...
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昭和30年、政府は臨時公共企業体合理化審議会の答申を受けて、運輸大臣の諮問機関として『日本国有鉄道経営調査会』を設け、経営形態と財政再建の方法を諮問したのです。その背景には、戦時中から戦後にかけての酷使で輸送施設は全体に老朽化し、慢性的な輸送力不足と労使関係の悪化に伴う職場の荒廃などが取り沙汰されていたからです。この委員会には、民間からも阪急グループ総帥、小林一三氏や、東急グループ総帥、五島慶太氏も指名され、各氏は以下のような意見を述べています。小林一三氏 「民営なら開発事業ができるし、資金調達も自由に行なえ、創意と責任を持って積極的な経営ができる。」五島慶太氏 「国鉄を北海道・東京・東海道・...
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投稿日 2017-11-13 16:43
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北神急行電鉄(本社:神戸市北区)は、営業開始30周年記念のロゴとヘッドマークの最優秀作品を発表しました。記念ロゴは2018年4月以降、社員が身に着ける缶バッジになるほか、グッズとしても使用。記念ヘッドマークは2018年4月2日(月)から5月31日(木)までの2か月間、北神急行電鉄の7000系電車に掲出されます。両マークの詳細は、次のとおりです。●記念ロゴ 「30」の文字と北神急行電鉄のマークを組み合わせ、利用客と地域・未来をつなぐイメージを丸で表現。30年の歴史を祝い、さらなる未来に向かって躍進する思いが込められています。●記念ヘッドマーク 遠目から見てもわかるようなデザインを意識し、30の...
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投稿日 2017-11-13 11:16
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JR西日本は、「SLやまぐち号」のヘッドマークを掲げた実寸大の「ダンボールSL」を14日(火)から広島駅北口1階コンコースに展示します。9月からスタートした「幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン」の一環です。本日11月13日(月)に公開組み立てが行われ、20日(月)まで展示されます。18日...
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民営化はせずに、公社としての自主性を認めようという意見がありましたが、やがて世間の風は民営化もよいのではないかという流れに変わりつつありました。 政府は、昭和29年に臨時公共企業体合理化審議会という組織を設け、公共企業体(公社)の有り方について以下の趣旨で検討する旨指示を出しました。 「公共企業体は、公企業の合理化と民主化のための新しい企業体であるが、その公共的かつ能率的経営を確保するため、なお改善を加える必要があると認められる。 これに対する改革要綱を示されたい」と諮問しました。 要は、戦後GHQ主導で作られた公共企業体という組織を、国営に戻すべきなのかそのまま現在の形態でよいのかを日本人...
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この議論では、戦前のような国営に戻すのではなく、施行しか6年しか経ていない公社の形態をそのまま踏襲すべきであり、国有鉄道からより公社の意味合いを強く出せる、「日本国有鉄道公社」に改めるべきであるとされました。答申には、当時の経過を中心とした説明がついているのでこれを引用すると以下のようになります。国営論反対派の意見として 「国営論は政府の監督強化をつきつめた公共企業体以前への復元論だが、再び国営にするとしても、財務・人事などの制度は今日とあまり変わらないだろう。 発足6年では、真に公共企業体設立の趣旨が発揮されたかどうかも大きな疑問だし、経営形態の改変そのもに伴う混乱も予想されるので、とら...
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これは、占領に伴いスタートした公共企業体を、日本人の目で見直そうということが目的であり、 この答申は、昭和29年11月に行われました。 「本来の企業性を十二分に発揮するため、また同時に公益事業の本質も顧みて、改善すべきものは改善した上公共企業体としての形態を存続すること」に決定しました。 具体的には、合理化をすすめなさい、経営委員会がもっとしっかりしなさい、政府が資金の手当てをしてあげなさい。ということで、どちらかといえば、国営に戻すべきか公共企業体のままが良いのかということがおもな争点となっていましたが、 この時点では、民営化ということは全く考えられなかったというか、むしろ国営に戻したいとい...
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国鉄の誕生というと、皆さんよくご存知とおもいますが、昭和23年7月22日に発表された、マッカーサー書簡が、その発端であるということを理解しておられると思います。 この書簡によると、鉄道・塩・アルコール・たばこ等の専売業務は政府事業から公共企業体に組織変更すべしと明記されていました。 当時は、GHQの命令は絶対であり、それにより当時運輸省の現業機関であった国鉄は、昭和24年6月1日、たばこ・塩・アルコール専売と供に公社化されました。 ただ、当時日本には、公社という概念(public corporation)が理解されず、国鉄を昔ながらの鉄道省のような組織として残したい政府との間で綱引きが行わ...