品川のストリングスホテル。遅くに戻ると、ベッドメイクさんがクマをつれて来ていた。 クルマじゃないよ、クマ、クマ、クマ〜♪ 「おうちに連れて行って」と書いてある。 うーん。かばんに入るかな。お台場側の部屋からは、いつも朝焼けが綺麗なのだ。
サバニの映像を求めて、糸満市立中央図書館を訪れる。 サバニを研究している事を説明し、ライブラリの中から、特別な資料を見せていただいた。 だが、見たい映像までは到達できなかった。今回の沖縄滞在の時間切れだ。 この次の調査で、さらなる事実が見つかることを願って、沖縄を後にした。
ビデオに登場したサバニ大工、大城氏の経営する大城三味線店を訪ねる。 もちろん、サバニの話を聞くためだ。 材の選び方、目的別のサイズの選び方、工期に関してなど、貴重なお話をいただいた。理想のサバニを探すために、僕らも真剣だ。
ビデオの中には、サバニ職人の大城氏のサバニ建造の様子が映し出されていた。 上原氏の案内で、その大城氏が、これから建造するサバニの材を見せてもらった。サバニの建造では、材料の入手も重要なポイントになるのだ。
アウトリガーの無い古式サバニは、帆柱を立てるとひっくり返る。 ならば、昔の人たちはそれをどのように乗りこなしていたのだろうか? それを知るために、糸満市へ向かう。まずは、個人で博物館【海人工房】を運営する上原氏を訪ねた。 この中には、古式サバニに関する資料があふれている。 古いビデオを見せてもらいながら、古式のエーク(櫂)、ユートイ(垢汲み)などの説明を受ける。ハーリーで有名な糸満と言う土地柄なのか、糸満のプライドを強く感じる。 見たい映像は貸し出し中で見れなかったが、たくさんの貴重な資料を見せていただいた。
おじいとの話も終わり、てその場を立ち去ろうとしたとき、おじいの作った模型のサバニが目に入った。 衝撃的な瞬間だった。 この帆の形状は、仲村氏が作成したニヌハ2の帆の形状と同一のものだった。 仲村氏は目を見開いて動かない。 驚いている僕らに、おじいは言った。 「伊江島の帆は昔からこの形だよ」仲村氏が何枚も描いたデザイン画から、考え抜かれた末にできたものがニヌハ2の帆だ。 ここまで酷似していることに、何か運命的なものを感じざるを得ない。 仲村氏のDNA配列に組み込まれた何かが、伊江島の帆を作らせたのだろう。また会いに来ると約束し、フェリー乗り場へと向かった。
満身創痍とはこの事だ。 しかし、この仕事を見よ!この仕上がりを見よ! サバニがどれほどの重量であるかを、理解してくれ。 感動できる生き方を見た。 偉大な者を見た。 俺達は、一生引退なんてしてはいけない。 世代を超越して、感動してもらえる人物になりたいと思わないか?
工房では、杖をついたおじいが一人で作業していた。 79歳、脳血栓で半身不随になり、リハビリでここまで動けるように回復した。 左目は白内障で見えないようだ。 「見えなくても、体が覚えている」と、おじいは言った。 下條氏の造るサバニは、すばらしい材と、すばらしい仕上げが印象的だった。 現在は、平底の艇を多く作成しており、下門氏は平底の艇だけを作るものだと思っていた。 しかし、事実は違っていた。 「遠くに行く舟は、もっと厚くするんだよ。昔はそういうのも作った。今の人は乗りこなせないから、平底にしているんだ。」また、こうとも教えてくれた。 「昔の舟は、帆柱を立てただけでひっくり返った。だから昔は膝を付いてバランスを取っていた。」ニヌハ2はアウトリガーを外すと、帆柱を立てただけでひっくり返る。 これは、軽量化しすぎたためと解釈していた。 しかしそれは、サバニの由緒正しい姿だったのだ。さらに驚いたことは、舟の先端に2本目の帆柱を立てる用意があったことだ。 それは、まさにニヌハ1に装着され、レギュレーション違反とされた構造だった。 「昔は、付いていたよ」このおじいの中には、膨大な知識がある。 もっと語ってくれ。 コードを繋げてダウンロードできないものか? 完全な継承者はまだ存在しない。 ならば、物で残すしかないのだろうか?おじいに仕事を依頼したいが、材料は切り出して、乾燥するまで1年はかかる。 時間の波に消えようとしている貴重な歴史を、継承する方法を考えよう。 制限時間は、長くない。