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25年目に行動できたワタシの軌跡

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永遠に続かなくても

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永遠に続かなくても
fumikoです。

ずっとずっと昔の話です。
当時、お付き合いしていた人と
「ずっと一緒」と約束をしました。

しかし、
その方とはご縁がなく
ずっと一緒にいる約束は叶いませんでした。

当時の私は
超恋愛体質で相手依存型。
私の落ち込み方は相当なもので
ご飯も食べられず
何も手につかない状態でした。

彼がいなかったら生きていけない、
本気でそう思って毎日泣いて過ごしました。

でも、彼がいなくても生きていたし
時間の経過と共にリカバリーもできました。

彼がいないと生きていけないと
思い込んでいただけで、
実際はそうではない事を自分で体感し、
思い込みの持つ凄さや怖さを実感しました。

今思えば、
相手依存型だった私は
かなり重い存在だった事は間違いなく、
相手が逃げ出したくなるのも
今となっては納得がいきます。

この世は諸行無常、
何一つとして変わらない事柄はなく
常にそれぞれの世界感の中で変化し続けます。

私自身も少しずつ代わりながら
日々を過ごし
かつて依存型だった私はもう居ません。
いつしか相手から依存される側になることも増え
自分のやってきた事を知ることもできました。

永遠に続かないこの世の中で
今を、この一瞬を大切に生きることは、
やがて豊かな思い出となって心の糧になり、
希望ある未来へと繋がります。

この事が分かってからは
自分の人生の舵取りは
自分自身で取らないと
最後の最後に後悔しそうだと本気で思います。

一度しかない人生は永遠には続きません。
これはみんな同じ。

残りの人生、
自分らしく生きるために出来る事は何だろう?

去年思っていた事とも
先月思っていた事とも違うことを感じるのは
今も変化し続けているからなのだと思います。

今、私に出来ること、
今日できることをやっていきたい、
何だか心の底から強く思った今日の日です。



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何処かにあるはず?本当にある?

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何処かにあるはず?本当にある?
fumikoです。

家族など近い人が亡くなった後でよく聞くのは、
「色々探すのが大変だった」話。

確かに4年前に父が急逝した時、
やらないといけない事と並行して
探し物が多くて大変でした。

「家の何処かにある」事は分かっているけれど
何処にあるのかがわからないのです。

一緒に住んでいた母でさえ
全てを把握していませんでした。

本人のものは
やっぱり本人にしかわからない事が
あるとわかったのは
本人がいなくなってからでした。

我が家の場合、
頻繁に使わない
年金手帳や印鑑登録カードなど証書類は
決めた場所に置くルールが昔からあったので
大規模捜索しなくて済みましたが
困ったのは「写真」でした。
故人を見送る時の祭壇に使う写真です。

先ず、ひとりで正面を向いている写真がない。
そして年齢と反比例して写真数が少ない。
数少ない中から
限られた時間で選ぶのは至難の業でした。

そして、皮肉な事に
慌てて行った物事ほど
後になってから
事実が判明したり
探していたものが出てきたりするものです。

痛烈に思ったのは
ある程度の準備は必要だという事でした。

一昔前なら「縁起でもない」と嫌がられた事も
現代では普通に会話ができる時代です。

可能なら
家族間で様々な物の保管場所を共有したり、
貸金庫に入れるのも1つの方法だと思います。

何より
写真は自分で用意しておくことも大切です。
私自身、自分の写真がほぼありません。
カメラマン役にはなるけれど
自分が被写体になる機会はなくなっています。
私がいなくなっても
家族や大切な人が困らないよう
「何処かにあるはず」
から
「ここにあるから大丈夫」
にできることから一つずつ
変えていきたいと改めて思った法要の後でした。

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あっという間の1年の過ごし方

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あっという間の1年の過ごし方
fumikoです。



父の4回目の命日を迎え
改めて感じるのは
時の過ぎ去るスピードが年々早まっていること。

年齢と共に
月日の経つスピードを速いと感じるのは
人が感じる自然な感覚だと最近知りました。

10歳の時に感じる1年、
20歳の時に感じる1年、
50歳の時に感じる1年、

どれも365日、同じ長さなのに
年々スピードが早くなり
去年の事すら先月の出来事のように感じるのは
自然の摂理なのです。

10歳の1年は人生の10分の1に相当します。
20歳の1年は人生の20分の1に、
そして50歳の1年は人生の50分の1に
それぞれ相当します。

同じ時間でも
今まで生きてきた時間に占める割合が
10%と2%とでは
捉え方は随分と変わってきます。

「三つ子の魂百まで」にも納得します。
3歳で感じる1年は今まで生きた時間の33%、
日々の体験が人生観に変わるのも納得できます。

今、わかっていることは
これからも年々
「あっという間の1年だったね」と思うように
なるという事。

だから
アラフィフの私
ボヤボヤしていられないんです。

「あっという間の1年だったね」と
何も出来なかった事を積み重ねていたら
あっという間に人生が終わってしまいます。

今のままで満足しているのなら
より良くするにはどうしたらいいか考える。
そして本当に今のままでいいのか
もう一度考えてみる。

今が不満で
なりたい自分や実現したい夢があるなら
1ヶ月後、1年後、5年後を想像して
たとえ5ミリでも動いてみる。

千里の道も一歩から。
そしてその千里の道のりは
年と共に感覚が変わることも忘れずに
「あっという間だったね」に惑わされず
「あった今に過ぎてしまった」を言い訳にせず
今日も一歩ずつでも歩みを進めたいものです。

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父の命日に思うこと

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父の命日に思うこと
fumikoです。

今日は父の4回目の命日です。

まだ4年、
もう4年、

振り返ればあっという間で
毎日を駆け抜けているように感じます。
それでも
1日過ぎるのがすごく長く感じて辛い日も
やっぱり沢山あった4年でした。

父が命をかけて伝えてくれた事は
「今日を精一杯生きる事」
そして
「明日は当たり前にやってこないと知る事」

父の作業場に残っていたタスクメモには
まだ終わっていないタスクが
沢山書かれていました。

あの日、事故が起こらなければ
父は残りのタスクを続けてやっていたはずです。
次の日も、また次の日も、
4年経った今も続けていた事でしょう。

でも、あの日の夕方
事故にあった父に明日はやって来なくなった…

今も父を思い出さない日はありません。

父とはもう会う事も話す事も出来ないけれど
ずっと心の中に居てくれている気がします。

今日出来る事を精一杯やる、
今、ここに集中して生きる、
1日を大切に生きる事で
父を偲びながら
これからの人生を紡いでいく。

今日は最近起こった事を報告しながら
墓前に手を合わせようと思います。






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有難い事を探そう

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有難い事を探そう
fumikoです。

法事でお寺のご住職の講和を聞きました。
「ありがとう」は
有ることが難しい事柄で
何も無い所からご縁があって
有り難い出来事に繋がること。
だから
「有難い→ありがとう」と声に出して
感謝の気持ちを伝えるのだと
教えていただきました。

「ありがとう」の反対語は「当たり前」
当たり前の事は何一つない事を
2年間のコロナとの闘いで経験してきました。

当たり前の事は何一つない、
家がある事も、
食べたいものを選べる事も、
安心して暖かな布団で眠れる事も、
仕事がある事も、
家族が健康でいる事も、
ぜんぶ当たり前ではなくて有難い事。

身の回りには
沢山の有難い事がゴロゴロ転がっている事に
私たちはつい気付かないで
代わりに
無いものや足りないものを探しては
嘆いています。

無いもの探しをしても誰も幸せになりません。
在るもの、持ってるもの、有難い事を探して
自分も周りも幸せな気分になる方が
やっぱりいい、と私は思うのです。

どんなに小さくても些細でも、
声に出して言ってみよう
「ありがとう」

言わないより
言った方が
気持ちがスッキリして
前を向けるはず。

さあ、ご一緒にいかがですか?





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素直な自分になるための自己チェック

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素直な自分になるための自己チェ...
fumikoです。

年を重ねるほど頑固になるとか
やりにくくなるとか言われがち。
言い方を変えるなら
「どんどん素直さがなくなっている」
とも言えます。

では、
素直になるには、
どうすればいいのでしょう?

大人は子供には
「素直さがない」と注意しますが
実は大人の方が素直さがないと感じる事、
ありませんか?

「素直さ」は
とても抽象的だと
私は思っています。

私が思う素直さとは、
具体的には
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「助けて欲しい」
が、迷いなく言えるかどうか、です。

子供の時に躊躇なく言えた言葉なのに
大人になるにつれて
どんどん言えなくなる事
ありませんか?

もし
そんな自分に気付いたなら、
改善できるかどうか思ったなら、
それは
かつての素直な自分に戻れるきっかけになると
私は思うのです。

そして
もう一つ大事だと思うのは、
周りや相手から
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「助けて欲しい」
と言われたら
ちゃんと受け止められる事。

こんな事言って弱いと思われたくない、
相手に弱い自分を見せたらつけ込まれる、
他者目線の評価や
カッコつけたいとかの
変な意地やプライドが邪魔してませんか?

時々、
自己チェックして
素直な大人を目指したいと思う
アラフォーです。


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私の反対側に来る人

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私の反対側に来る人
fumikoです。

最近になり
周りでボヤく人が増えたように感じて
原因はなんだろう?と
少しモヤモヤとしていました。

考えたり行動を振り返りながら
今のホロスコープも観てみました。

ホロスコープは天体の配置図、
円形を12区分して現します。
運勢はもちろん、
いい日を選んだり、
相性を観る時にも活用できます。

私の出生時間に合わせたホロスコープを見て
ハッとしたのは
私自身の運気の事ではありませんでした。

天界で起こる事も
この世で起こる事も
物事は全て相似形になっていて
ホロスコープがメッセージを発してくれます。

メッセージを読む前に
もっと大切な事を
ホロスコープは教えてくれています。

12区分されたホロスコープは対になっています。
1と7、
2と8、
3と9、
4と10、
5と11、
6と12、

例えば、
1は自分自身を
7は相手を現し
自分に合った相手が反対側にやって来ます。

相手は自分自身の合わせ鏡です。
相手や周りに不満を持ち勝手にモヤモヤして
自分の事を棚に上げていました。
様々な要因はあれど
周りに不満を持ったりイライラする事で
思い当たる方はいくつもあります。

過去と他人は変えられません。
変えられるのは未来と自分自身。
他人である周りや相手を変える事はできなくても
自分が変わる事で
相手も未来も変える事はできます。

煩雑な日々から穏やかな日常に戻りつつある今
自分自身をリセットして
自分も相手も変えていこう。

このタイミングで気付けてリセットできるのは
ラッキーだと受け止めて。

今日の月は、午後から双子座に入ります。
身近な場所でコミュニケーションしたり、
近所をウロウロして周りの情報収集する事に
ツキがあります。

行き詰まった時は
星の力を借りながら
一番寒い季節を進んで行きたいものです。






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今年こそ先延ばしをやめたい!あなたへ。

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今年こそ先延ばしをやめたい!あ...
fumikoです。

終活やエンディングノートは
重要だけれど緊急ではないことの一つです。

講演会やセミナーに参加したり
誰かの経験談を聞いた後は
「今日から終活を始めよう」
「エンディングノートを買わなくちゃ」と
意気込んだり
気持ちに勢いも付きます。

とは言うものの
これらの事は大切だけど緊急ではありません。

毎日の仕事や
日々の家事や家族の世話で1日が経っています。
そして毎日が忙しく過ぎ去り次の週末に、
先週と変わらずに
「終活しよう」「ノート書こう」と
思えているでしょうか?

働き盛り忙しい盛りの40代50代は、
仕事に家事と目の前のタスクが山盛りです。
そんな日常からすれば
「大切だけど後でやろう」と思っている事は
就活やエンディングノートの他にも
きっとあるのではないでしょうか?

興味ある分野の勉強、
体力づくり、
連絡を取らなきゃと思う離れてる家族や友人…

いつかやろう、
明日から、
来週から、
春になったら、
年が変わったら…

先延ばしにしている事で
出来た事があるか振り返ってみると
どうですか?

現実に蓋をしたくなるかも知れません。
でも、しっかり現実を見つめる事も必要。
そして、本当にやりたい事なのかどうかも大切。
誰かの真似をしてとか、
みんなやってるから、
親や家族に言われているから、ではなく
自分がやりたい事なのかどうか?
自分でないと出来ない事なのかどうか?

私の場合、先延ばしにした事は
見事に出来ていませんでした。
忘れている事も沢山ありました。
出来てない事ってそんな一面もあるので
先延ばしがいけない事ではないと思うのです。

「明日出来る事は今日からできる」
母にいつも言われていた言葉です。

身体はひとつしかないし
1日は24時間の中で
仕事も家事も他の事もこなさないといけません。

だったら…
順番を付けて一つずつ取り組んでいく。
1日の中で意識する時間を作って取り組む。
期限を決めて取り組む。
やらなくて良い事はならない。

やり方はそれぞれ、
大事なのは
いつかやろうで先延ばしにしない事。

後悔を減らす生き方を
日々の積み重ねでも実践していくことも
豊かな人生の一歩に繋がります。

先ずは書き出してみてはどうでしょう?
結構わかりやすいと私は思いますよ。

ワオ!と言っているユーザー

心のパワースポット

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心のパワースポット
fumikoです。

お正月から1週間、
実家に帰りのんびりしています。

アレコレ忙しいお正月はゆっくり出来ません。
心からゆっくり出来るお正月は
いつも1週間遅れでやって来ます。

好きな事をして過ごせる
年に数回の貴重な充電の時です。

大雪で初詣にも行ったなかったので
近くの山頂の神社に行ってきました。
山頂から琵琶湖を望むお気に入りの場所で
今日の琵琶湖をパチリ。

何をするでもなく
ぼんやりと大好きな景色をひとり眺めるだけで
気持ちがふぅっと軽くなり
心の中のバッテリーが満タンになっていきます。

人それぞれ、
充電の方法は違うので
これがいいとか、
あのやり方がオススメだとか
当てはまらないと私は思ってます。

買い物に行ったり
ドライブしたり、
カラオケに行ったり、
美味しいものを食べに行ったり…

色々試した結果、
私の場合は
実家近くの景色を一人でぼんやり眺める事が
一番充電できる事に
実家から離れて20年近く過ぎて気付いたのです。

近すぎるとわからない事は
まだまだありそうです。

鏡開きもしたし、
お正月気分もそろそろ終わりです。

明日からはそろそろ仕事全開モードに切り替え
年度末に向けて走る日々が始まります。

充電が切れそうになる前に
またこの場所に戻ってチャージしよう。
充電の源がわかっていると
安心して突っ走れますからね。




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頑張ると無理するは紙一重

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頑張ると無理するは紙一重
fumikoです。

頑張り過ぎて
失敗したり
ダウンしてしまう事が
時にはあります。

周りは
「そんなに無理しなくていいのに」と
心配したり呆れたり。

でも、当の本人は
「出来ると思ったんだけどな」
と無理をした自覚がなかったりします。

私自身、頑張ろうとして
無理をしてしまった出来事が
ありました。

一度に走る距離を
10キロから15キロに延ばしたのです。

いきなり2倍にするのは
無理があると思い、
間を取って1.5倍。

距離を延ばしたきっかけは
10月に参加した金沢マラソンでした。
30キロ過ぎてから脚が動かず苦痛に悶え
自身の練習不足と乏しい筋持久力を
嫌というほど実感したのです。

『レース中ずっと楽しく走りたい』と
走るたびに思います。

そのためには
余裕や余力がないと楽しめません。

走る距離を延ばすことで
走力と筋持久力に余力を作ろう、
そう考えて走る距離を延ばしたのでした。

そして
年齢を言い訳にしたくなくて、
いきなり高い目標を課したのです。

いきなり週に2回、
15キロ走るようになり
途端に身体が悲鳴を上げました。

腰痛、
痛めていた太腿の痛みの再来で
途端に思うように動けなくなってしまいました。

今は養生の甲斐もあり、
少しずつ回復しています。

今から思うと
一度に長く走る事ばかりに気を取られ
年齢や正味の体力を把握していませんでした。
長く続けられるやり方を考えていませんでした。

頑張るのラインを越えると
無理をしてオーバーフローしてしまいます。

「頑張る」と「無理する」の境界線はどこなのか
その差は紙一重です。

見分ける1つのキーワードは「SDGs」
今のままで持続可能かどうか?

無理せず頑張る、
挑戦はまだまだ続きます。








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