タカマ原作のラストで、あれだけ自己犠牲のオンパレードを見せつけられた伽耶さんは、何を思ったのかな。
自分も命を犠牲にすることで、何かを守りたいとは思わなかったのかな。
思ったけれど、それを誰かに止められたのかな。
彼女が自らの命を犠牲にしても、守れるものは何もなくて、さらに無力感に苛まれたのかな。
彼女にできることは、生きることだけで、生きてその目で見たことを伝えるだけで。
目の前で次々に繰り広げられる自己犠牲のオンパレードに、頭も心もついていけなかったんじゃないかなって気もする。
1月にはもう、かなり形ができてたんだけど、
細部を整える余裕がなくて、放置していたタカマ二次小説、「陽光の届かぬ塔の雲雀」。
ようやく22話~24話をアップしました。
残るはいよいよ、クライマックスとエピローグ。
合わせて3話ほどで完結する予定。
一応最後まで、草稿は書き終わっているんだけど、
流れが不自然なので、もうちょいブラッシュアップしてからアップします。
なんか、個人的には、「陽光の届かぬ塔の雲雀」最終回のエンディングみたいな感覚でこの曲を聴いている。
……伽耶さんとは無縁の曲なんだけどね。
メロディーやテンポがエンドロールにふさわしいというか(笑)
真逆だからこそ、惹かれるってのもあるかもしれない。
【夜烏P】ケモノの唄 / 亞北ネル - Song of the beast / Akita Neru
後は、最終話のタイトルが決まれば、だいたい終了。
ちょっと時間を置いて、通して読んでみて、適宜手直しをして、それでよければ、アップします。
……ちょっとした疑問としては、果たして「竜」を「獣」と言うのかが気になるんだけど、そこはもう原作準拠だから、いいってことで。
ついにクライマックスまで来ました。
一気に書き上げてしまいたいけど、そろそろ寝なきゃ……。
ビンガ、つい最近まで存在を忘れてた……。
だって伽耶さんとビンガ、話せないし。
でも、クライマックスではそんなこと言っていられない。
いっそいないことにしようかとも思ったけれど、そうもできないから、言葉が通じない設定をなしで(笑)
今、タカマ二次小説を執筆するにあたり、原作見返していて気づいた。
伽耶さん、天珠宮に来てから、一度も目をそらしてない。
鳴女さんが思わず目をそらしてしまうような場面でも、
彼女は、ちゃんと目を見開いている。
本当に、強い人だと思う。
23話まで書けちゃった。
天の岩戸がついに開きました。
アップ、しちゃおうかな、どうしようかな……。
24話がまだ、白紙だからな……。
「陽光の届かぬ塔の雲雀」、22話は大体できたんだけど。
23話がまだ見えてこないから、まだアップはできないかなぁ……。
次に控えている話の展開次第で、直前の話の書き方が変わってきたりするからなぁ。
23話からはいよいよ、伽耶にとって、最後の大仕事が待っている。
ものすごく大きな仕事。「ただ見ているだけ」と言ってしまえばそれまでだけど。原作にすら、しっかりとは描かれていない、「全て」を見届ける大仕事。
いわば、この曲で描かれていることの全てを、ただひたすら間近で見続けていたような、そんな衝撃なのだろうと、思ったりする。
【ボカロ10人】祝福のメシアとアイの塔【オリジナルMV】/【VOCALOID 10】『Blessed Messiah and the Tower of AI』【Original MV】
【O.B.N.N】 祝福のメシアとアイの塔 (Blessed Messiah and the Tower of AI) 「Mash up」 【SCB2-R3】
祝福のメシアとアイの塔 歌って演じてみた
タカマ二次小説「陽光の届かぬ塔の雲雀」16話~21話アップしました。
もうじき、天の岩戸が開きます。
伽耶姫にとっての最後の難関、「全てを見届ける」まであと一歩。
太陽になれなかった少女が綴る、もうひとつの「タカマガハラ」。
もう少し、お付き合いくださいませ。
suara キミガタメ 高画質 歌詞付き
天照は決して、空位が許されない存在だから、死ぬのが許されない存在だから、
譲位はあくまで生前に行われる。
では、そのタイミングはどうやって決める?
天照の力が衰えてきたときが譲位のタイミングだとしたら、
それは「天の岩戸計画」の執行を決断するときと、どう違う?
後継者がある程度の年齢になった時がタイミングなのだとしたら、
自分はまだまだ力があっても、職を譲るということ?
退いた後は、どうやって過ごすの?
未熟な天照を支えるの?太陽がふたつあったら、無用な混乱を呼ばないか?
制度の根幹に関わることがわからない。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ