二日目の宿泊予定地、沢崎に到着
沢崎鼻燈台へ向かう橋の上から沢崎の漁港と集落が俯瞰できる
小木の町を散策した
商店街の店々にはおしゃれな看板が統一された形で軒に付いている絵も楽しい一番上の左の看板には「小木の秋
海と越路の山ならぶ
方より白く明け初めけり」
与謝野晶子の句が書かれていた
一寸開けた土地には人家や田圃、畑、工場などがある佐渡にも八十八ケ寺の札所があると聞いている佐渡西国四番札所
海潮山観音寺四国八十八ケ寺は余りに遠すぎて挑戦不可能と諦めているが
この島なら可能である
右手に山裾が迫り、日の良く当たる斜面に白い花が群生していますウノハナ (ウツギ【空木】)旧暦の卯月に咲くので「ウノハナ」と付いたとあります有名な「夏は来ぬ」の歌詞と説明をとあるサイトから引用しました卯(う)の花の、匂う垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬさみだれの、そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ橘(たちばな)の、薫るのきばの
窓近く、蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ楝(おうち)ちる、川べの宿の
門(かど)遠く、水鶏(くいな)声して
夕月すずしき、夏は来ぬ五月(さつき)やみ、蛍飛びかい
水鶏(くいな)鳴き、卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす、夏は来ぬ「卯(う)の花の、匂う垣根に」は、やはり、ウノハナが香るのではなく、白い花が美しく映える状態をいっているのでしょう。
「『にほふ』」は、『美しく色づく、美しく 映える』という意味で、元々、目で見て美しいことを表す言葉でした。平安時代に、においに 関する意味が加わって、現代では、視覚の意味が消えて、嗅覚(きゅうかく)の意味だけが残りました」(インターネットサイト「のぞきみ 日本語・日本文化」)
佐々木信綱さんは、ここに古語を使ったのだと思います。 ユキノシタ科ウツギ属の落葉低木です。
確かに鼻を近づけても匂いはありません
常に左手に海を見ながら歩く
右手に山が迫り、小さな沢が幾つも現れる
藪の中に紫の模様を付けた花があったシャガ アヤメ科アヤメ属名前の由来はヒオウギの漢名「射干」(しゃかん)からとある
第一日目の宿泊を終え、赤泊方向(西へ)足を進めた
2Kほど歩くと若い男女の銅像が建っている銅版に説明が書かれ、土佐と加賀の男女と書いてある
地名は最初「逢田」から「大田」となり現在は「多田」となり
発音は『オオダ』となっている時代は天智天皇(西暦668-671)となっているので
相当古い時代である
このキャンプ場は環境が素晴らしく、これまで3回利用したが
佐渡の中でも秀逸な場所である快適さは景色と維持管理のしっかりとした所が心地よい場所を
提供してくれる
地元の人々にエールを贈りたい気持ちにさせてくれるトイレの設備も清潔である
勿論、水道は完璧に使え、炊事場も整備されている昨年からはハンモックテントを持参し野営を行なっている
松に設営したテントと松ヶ崎キャンプ場の景色それと
朝食を東屋のコンクリート製のテーブルで準備した画像を載せた
朝陽を受ける松ヶ崎燈台昨年、一昨年と2回お世話になったこのキャンプ地は心地よい
環境が整っている多分、地元の人々が汗をかいて整備に協力をしているのであろう燈台も草原に立ち、親しみを感じさせる
この場所でベースキャンプを設営しあちこちと見て周る
基地としては優れている
先週の火曜日に獲物をゲットし、丁度1週間
本日も凪は良く、透明度も朝のウオーキングで確認をして
別の場所にスキンダイブへ行った案の定、波はなく透明度も良い
今回は「なまこ」と「芽かぶ」はいらないといわれ
「サザエ」と「岩牡蠣」だけを狙った
1時間ほどで水から上がり、帰宅した「サザエ」 20個
「岩牡蠣」 50個ほどさて、どのような献立に変身するであろうか
昨日は赤玉まで約24Km歩いた
背中に背負った荷物が20K以上30K以下のため
疲労が激しく、野営予定地まであと9Kmほどでバスを待つことにした
ところで、野営予定地へ向かうバスは夕刻7時30分過ぎまでない
止む無く赤玉の海岸で時間を過ごした野営地、松ヶ崎には午後8時過ぎに到着
暗い中、設営をする一張りのテントが目に入る
神戸からの人が大型のスクーターで佐渡を楽しんでいた翌朝、4時に起床
東の空に朝日が姿を現し、太陽の左手の空には茜色の雲がたなびいている
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