須磨海浜公園の水族館のラッコ、ガラス越しですからすっきりは映っていません、かわいいことは確かです、2匹が上向きで浮いており、1匹はコンクリートの上で寝そべっています。なぜここへ来たかって 聞かれれば、孫が来たからです。前回コアラと書いてご指摘いただきました。コアラとラッコ 文字はアとツが違うだけ、これ以上書いても恥の上塗り
この写真 コアラはコアラでも、剥製のコアラ ちょっと気持悪いです。須磨水族館で展示されていました、この横に1日にコアラが食べる食料が展示されていました。貝が30〜40個 いかに魚の切り身 大変な量です。動物園や水族館はいらない、が私の結論です。
世の中にわんさと橋がありますから、この写真を見て、橋おたくならばすぐわかるのでしょうね。岩屋のフェリー桟橋から撮った、明石大橋です。 体重の話しなければいけません。なぜまたいまどきダイエットか、今テニスを一緒にしているメンバー結構うまいのです。対抗するには、練習よりも、体重を減らして動きをよくすれば何とかなるかと、ダイエットの動機なんてこんなものです。汗かいた後ですから、今はマックスで75Kgにしたいのです。
京都初めて孫の案内 定番の金閣寺から銀閣寺清水寺と回りました、渋滞もなく回れたのですが、銀閣寺も観光客は多く、昔回ったときの静かなたたずまいには、程遠かったです。感動するという感覚がなくなってきているのでしょうか。
漢字 書けませんでした、漫ろ歩きと書きますが、薄学私はダメでした、先日ブログで読ませてもらったほんの表題に使ってあり、「そぞろ」 はて漢字はと思ったわけせす、広辞苑には、なんとなく心のすすむさま、わけもないこと、これというはっきりした理由がないことと、とありました。 写真は 芦屋南浜 チルの散歩道で夕日方向で撮りました、シャベルカーと橋の橋脚のシルエットが気になりました。この大きさだと単なるボケ写真ですね。
まずは ブログも書かないと あっという間に一月 二月 何でもいいから また はじめます。8月行った 御存知金閣寺です、お客さんは、中国人が多いように思いました。確かに金色がまぶしいのですが、けばいコマーシャル、インテリア パフォーマンスになれた目には、ただの金閣寺でした。これで金閣寺にくるのは何回目でしょうか、また次回来るとしたら、京都案内のときついてくることになるでしょう。
この写真 ピンも甘くあまりいいとは思わないのですが、まあいいかの世界、露光は猫のボデイのポイント測光のため、まわりは飛びましたそれがなんとなくリンらしく写ったなと、今チルと仲がいいのはしろ、我が家の主ポコはマイペースまた写真写して載せます、このリンはチルと対等にケンカします体重3.5Kが15.5Kのチルとです。それでも朝並んで寝そべっていることもあるのです。今は4匹健康なのでそれでよしです。 今 写真見て よくないなと思いながら、ここまでくるとやめられない、次回リンももっとリンらしく凛とした絵を載せましょう。
今日早朝近くの芦屋川に散歩連れて行きました、私が車で送り、おろして私は家に帰りました。まだ誰でも怖がりますので、夏休みですから親子が来たらしいのですが、そのとき逃げてしまったのです。私は台所でテレビ見ていたらドアの下の網戸からチルがのぞいているではありませんか。連れて行った女房はあわてたようですが。距離は300Mぐらいでしょうか、帰ってきたのです。誰の助けもなしに、すばらしい我が家のチルは、話はそれだけです。女房は愛護協会から預かったワンちゃんもうだめかと思ったらしい。チルはえらかったのでした。
久しぶりに広辞苑ひきました、世情に通じず人情の機微をわきまえないこと。無粋 無骨などが同じことのようです、洗練されていない、風雅の心のない。反意語は粋 いき つう ただ これだけのことですが、日常の生活空間を、薄っぺらにするのが野暮な人、居心地よくするのが機微をわきまえた粋な人。 機微をひいてみました、容易には察せられないような微妙な事情をわきまえた人、野暮ではないと普通の人まではなれても、粋な人にはなかなか難しいことがわかりました。 野暮をひいて己の野暮を理解しました。