関西人 〜その類まれなる民族性〜
11月
30日
私は関西人である。その中でも大阪だ。
生まれも育ちも、そして育ったあとも大阪に住んでいる。
ところで数年前、坂本祐央子さんのお弟子さんである沢山のコーチの方々がこのBLOGURUを始められたことで、私は知らぬ間に全国のコーチたちに包囲されてしまった(笑)結果、私の周りは東日本の方々が俄然多くなった。
それから、東日本の方々との交流が始まるのだが、関西人ということでよく面白がられる。何故そのように面白いことが言えるのか、どのように鍛えたらいいのかと聞かれるが、これは、関西の地に生まれ育った者に課されるとある“筋トレ”の賜物なのである。
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関西人は、幼少の頃から面白いことを求められる。周りにいる大人たちも面白い人ばかり。そんな大人たちや子供たちの間で日夜、「小気味好いボケとツッコミ」「面白いオチ」「うまい返し」「的確な間」などを鍛錬していく。それは、“お笑い養成ギプス”と言っても過言ではないかもしれない。
そして、NGK(なんばグランド花月)などの寄席が身近にあり、毎週吉本新喜劇などのお笑い番組がテレビ放映されるので、オチや返しを“学習”するのである。よって、学校でモテるのは勉強、運動ができる子ではなく、面白い子となる。
(人として誠実であることはもちろん必須)
やがて成長と共に笑いに対する感度、反射神経はさらに研ぎ澄まされ、面白い大人に仕上がり、しかも量産されるのである。
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しかし、決して関西人が全員にぎやかで面白いというわけではない。物静かな関西人も一定数存在する。私も、いわゆる“お笑い偏差値”はそんなに高くない方だと思っている。私より面白い人などたくさん存在する。
しかし、このような民族性は世界的に見ても稀だろう。非常に特異なケースだと思われる。
そこで、関西人が気をつけないといけないのが、他の地域の人たちに「オチ」を求めてはいけないということだ。他地域の方々は、幼少の頃からオチのないコミュニケーションを取っており、“お笑い筋トレ”はしてこなかった。そこには何の支障も存在しない。そこへ、急に関西人からオチを求められても困惑するだけであろう。むしろ、われわれ関西人の方が特異、少数派なのである。全国的に見ても、世界的に見ても。
改めて、この関西の地で生まれ育ったことに感謝している。悲哀や苦悩もユーモアで笑い飛ばし、明るく前に進んで行く素晴らしい文化だと思う。これからも、この面白い人たちと面白おかしく暮らしていきたい。
★☆さわログ☆★