金ヶ崎の戦いで、朝倉に勝っていた織田勢ですが、妹婿の浅井長政に裏切られて、退路を絶たれた信長は、赤丸の金ヶ崎城から赤線の部分を(たぶん)通り、京都に逃げ帰りました。 特に琵琶湖周辺を避け、朽木谷と呼ばれる間道を途中峠まで逃げ、大原経由で逃げ切ったとされています。 何度も通っていますが、確かに昔は人里はなれた間道のようです・・・・・・