印尼紀行その6:バリ原住民の村(1)

バリ島は特異な歴史を持っています。
6から7世紀に回教がジャワ島に伝わると、その宗旨を受け入れない王政との間に軋轢が生じました。
一部の王族は、臣民を全て引き連れ東隣のバリ島に移住したと伝えられています。

バリには元々の原住民(アガ・バリと呼びます)が居ましたが、多くは王政に溶け込みました。

しかし、これを拒否する人々は辺鄙な場所に集落を作り外界と遮断してきたと言われています。

現在、大きな集落二箇所が知られています、キンターマニのバツール湖東岸のトルニャンとここトゥガナンです。

どちらも当然ヒンズーではなく、土俗宗教を信じています。
トルニャンは風葬でしか知られていませんが、ここでは色々な文化が継承されています。

写真はダブルイカットと呼ばれる、世界でここだけで織り上げられる絣で、経糸と緯糸の双方を染めて作られますが、染める日が吉日しか出来ず、信じられない日数を必要とします。
数年前、ここで求めましたが、価格交渉に1時間を要した記憶があります。

大部分のバリニーズはここに来るのを好まないようです、我が友人も再三案内を頼んでも、滑った・転んだで、結局自力で訪問しました。

日本の観光案内は勿論、ロンリープラネットの旅行記でも、ここの案内はほんの僅かで、それも内容は他のページに比較して明らかに貧弱です。(最新版)

理由は明白で、ほんの一部の土産物を商う住民以外は英語は通じません、日本語がわかる人も居ますが、探し出すまでが大変です。

会話はバリ語ですが、インドネシア語は勿論通用します、しかし観光客に馴れた南部のバリニーズとは根本的に異なる部分があり、気高く・閉鎖的と感じます。

これは西欧人も感じるようで、観光客にまとわり付く姿は一切無く、価格交渉は余程の会話を経ないと行き着けないため、違和感があるようです。

私はこのプライドの高さと自立性が好きで、訪問を繰り返しています。

ロンリープラネット

#旅行

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入口の看板です。
この横に受付があり、実質の入村料を支払い、記帳すると中に入れてくれます。
入村料に決めは有りませんが、我々は二人でRp10000(\130)を払いました。

村にはここ南側と北側に二つのゲートしかなく、周りは高い塀で囲まれています、北側は山に続いており、実質の入口はここだけです。
投稿日 2007-09-24 09:17

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ここTENGANANへは、州都デンパサールからサヌールバイパス経由で1時間半くらいです。
地図の右上に海岸沿いにあるリゾート「チャンディダサ」の手前にあります。
地図にはBali Agaとあります。

※最近、バイパス工事が順調で、二車線の直線道路が「クルンクルン」辺りまで伸びていますが、その先が問題で、時間帯によっては大きな渋滞が発生するので注意が必要です。
投稿日 2007-09-24 09:27

ワオ!と言っているユーザー


へぇーと思うことばかりで、すごく興味深いです(^^)
他を受け入れない事は孤立していってしまい、何だか不安を感じるのは
いろんな文化や言語や常に入ってくるからなのか、自分の生き方なのか…

人に頼っている証拠でしょうかね。
投稿日 2007-09-24 14:24

ワオ!と言っているユーザー


元々完全な自給自足での生活が確立していた村落なので他との交流は無くても生活は可能だったようですが、最近は電気・電話など、更には海外留学生もいるようです。

しかし、孤高の生活態度は凛として、とても好感が持てます。

※現在の日本ではおそらく見る事が出来ない生活環境です、外界との適度な遮断で、己の文化を維持する知恵に敬服します。
投稿日 2007-09-25 00:36

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