7月
25日,
2011年
濡れ落ち葉にはなりたくないその5
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
この詩を曲解して、勉強は若い時のみと思いがちですが、これは勉学の機会は何時でもあるわけでは無いと言っているのです、そして人間は死ぬまで勉学の義務があるとも暗に示唆しています。
定年退職後、パチンコにうつつを抜かす・・・・・
一円パチンコだからお金は使わないから、だから文句を言うな!
そうでしょうか? 奥様から粗大ごみ扱いされ、行き場が無くてパチンコに通う、哀れです、何故いままで漫然と定年まで過ごさず、定年後の人生設計をしなかったのでしょうか。
ボランティアでもいい、社会貢献の意志はないのでしょうか?
年金を頼り、退職金をちびちびと使い、ただ何もせず余生を送る、それもいいでしょう、あなただけでそれが完結出来れば・・・・・
もっと、勉強しませんか、社会に役立つ行動をしませんか?
ただ、老いて朽ち果てる、悲しくないですか?
そんなご主人に、奥様は愛想をつかすのは当然だと思いませんか?
漫然と勉学もせず遊び、時間を潰す生活見直してみませんか?
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