今のところ普通に暮らしてる。特に何ら変わりなし。だけど、だけど・・・・疑うわけではないけど、確かめてみたい気持ちもある。それは真実なのか、と。判ったところでどうなるものでもない。でももし本当だとしたら、大変なことだ。信じようか・・・・。確かめてみようか・・・。ただ、もし違うのであれば、何で逃げるのか判らない・・。
逃げたらずっとその烙印を押されちゃうじゃないか。何で立ち向かわないのかな。私だったら絶対逃げることはしない。
(いや、一度逃げたことがあったけど、それは自分のやったことを認めたから)いわれの無い冤罪を押し付けられたら、信用を回復するまで、そこを逃げたりはしない。
真実は多分判らないだろう。私は「その言葉」を信じるしかない。
・・・と思う人が、世の中にはどれくらいいるんだろう。自分の価値観が全ての人。自分は道徳的だと思ってる人。
自分の正しいと思ったことが、全ての人に当てはまると思い、正義感を振りかざす人は多い。
その立場になってもみず、ただの傍観者でありながら、自分は正義だという。
何が正しいか、なんてモラルだけで計れるものじゃない。正しくなくても、その時には正解だった、なんてことはザラにある。自分で行動して、自分で経験して、そんな積み重ねの中から、自分の判断で選択するしかないと思う。自分が正しいと思った人が、いくら正義を振りかざして人に諭したところで、言う方も言われる方も、実際に経験し身になっていなければ、心に響くものではない。
『自分の正しいと思ったことが、他の人にも正しいと信じられる人。その人は天才であり、妥協を排する人だ』
とはエマーソンの言葉。今の日本には、そんな『天才』が多いんだろうね・・・。
あの江原啓之さんの著書の中にこんな一説があった。天国に持っていけるのは、感動だけだと。どんなに財を成しても、どんなに大事なものがあっても、あの世へは持っていけない。大切なのは、生きているうちに何回も感動することだ、と書いてあった。人間を成長させ、魂を成長させるのは「感動すること」なのだ。だから、生きているうちに何度も感動を味わうことが、何より大切なんだろう。そう言えば、感動する人はボケない、と何かで聞いたことがある。
辛い経験が必要ということはなく、いかに多くの感動を得るか・・・・そこが大切なのだ。
私もいっぱい感動したい。
自分のなし得た事で、また自分に関わる人のことで感動を積み重ねられたら・・・。
今まで辛い涙ばかりだった。
これからは感動で頬を濡らさなきゃ・・・ね。
昨日からまたドドーンと落ち込んでしまったけど、今日は何とか浮上した。
私は、本当に仲間に助けられてる。そう言えば庄治陽子の漫画「生徒諸君!」の台詞で、
「一生の内に、こんな出会いが何度あるだろう?」そんな一節があった。私の周りには、男もいれば女もいて、それこそ年齢差もバラバラで・・・・でもホントにイイ人たちなのだ。みんな、熱くて、志があって、ポジティブで、一緒にいると必ず元気をもらえる。私は、この歳になってこんなに人間関係が広がるなんて、思ってもみなかった。ありのままの自分を理解してくれる人がいるだけで・・・そんな仲間がいるだけで本当に幸せだ。この仲間たちがいなければ、私は修羅場を乗り越えられなかっただろう。
こんな出会いが、一生の内に本当にどれだけあるのか・・・。
今の仲間と知り合えたことに、とても感謝している。誰かが困った時は、私も必ず助けに行くからね。
一昨日、仕事の途中で銀行に立ち寄った。
仕事柄両替がどうしても必要になることが多く、50円、100円の両替のため長い待ち時間を過ごすことが少なくない。
一昨日も、待っている間に雑誌をパラパラ眺めていた。そこで、映画監督井筒和幸氏のコラムを見つける。
ピンク映画からメジャーに移った氏は、最初の頃かなり苦労したらしい。
一般向け映画の2作目がコケた時は、ピンク時代の仲間から「戻って来い」と誘われたとのこと。
しかし、氏は戻らなかった。
人間、絶望の淵に追い込まれないと先に進めない、と悟ったそうだ。
たとえ下手の横好きであろうと、誰からも相手にされなかろうと、やらなくちゃならないことは、やるしかない、と思ったという。
今の私もそうだ。
振付も構成も指導力もまだまだ未熟で拙い。
壁にぶつかりながら、のた打ち回りながら、もがいて進んでいる。
しかし、少しだけ判ったことがあった。
今やることは、自分の範囲内で良いと言うこと。
無理に外見を飾らなくとも、知ったかぶりで「らしく」振舞わなくとも、自分の出来る範囲で良いのだ。
どれだけ頑張っても、センスの良い人にはかなわない。それは当然。
バカにされたって、白い目で見られたって、自分なりに一生懸命やればそれで良いんじゃないかと思えてきた。
自分の範囲を少しでも広げる努力は怠らず、その中で精一杯考え進めることが出来たら幸せだろう。他人と比較してもしょうがない。
やると決めたら、突き進めばいいだけ。私は他人の目を気にし過ぎた。
先が見えないほど落とされなければ、見えないものもあるんだよな・・・。
今日はまた別のことで落ち込んでしまっている。
自分は何でこう素直になれないのか。後悔先に立たず・・・。
言わなきゃ良かった。言わなきゃ良かった。言わなきゃ良かった。
自分の心に従うなら「NO」と言えば良かった。
新しいチーム名を今考えてる。響きが良く、尚且つ自分らしさが出るような和風の名前。
何故「和」かと言えば、祭りに拘りたいからだ。名は体を表す、の言葉通り、ずっと使っていきたいから安易に考えたくなかった。
そこで目にした言葉、「千紫万紅」意味は、いろいろな花が咲き乱れる様。すみれはすみれの美しさがあり、バラにはバラの美しさがある。
人間にもその人ならではの輝きがあるはず。
一人ひとりが輝いていられるチームが作れたら最高だろう。また同音異句の言葉で「千思万考」もある。
これは、いろいろな思いをめぐらすこと。
私は、他人への思いを深くめぐらすことは無かった・・。
自分への戒めを込めて、常に省み深く考えていくためにも、この言葉は必要かもしれない。「千紫万紅」・・・この言葉で、行けるとこまで行きます。
やっぱダメだよねぇ・・・自分で自分を縛っちゃ。
もういい加減、考えるのも飽きたかな。人間落ちるとこまで落ちたら後は浮上するだけって言うし、そろそろ浮き上がりたいな。さっき犬の散歩で外を歩いてきたけど、星が凄く綺麗でずっと見入ってしまった。何にも考えず星空を眺めるのも良いもんだ。風邪引いてるから寒さは堪えたけど、何だか癒されたなぁ。自分を信じなきゃ運命は掴み取れない・・・そんな気がしてならない。
今年、自分に戒めているのは、かつてのチームの話を聞かないこと。
今までどうしても気になり、つい電話して聞いたりしていた。
(修羅場の10月には電話代だけで¥50000・・・・払えなくなって、携帯は現在ストップしている)そうでなくてもやることは一杯あるから、そちらにシフトして、なるべく考えないようにしたい。辛くなった時、いつも紐解いて読む本があり、今年もまたその本を開いた。
出口日出麿さんの「生きがいの創造」だ。
同じシリーズで「生きがいの探求」という本もあり、それは先日ネットで取り寄せた。その中でも、特に好きな文章・・・。『理想を見つつ現実を離れず、
しかも現状を一歩ずつ向上させねばならぬ。
永遠を仰ぎつつ現在を離れず、
しかも現在を一歩ずつ向上させねばならぬ。
あせってはいけない。
油断してはいけない。
突破!突破!
全てに現状を突破して、一路向上すべし。』
『吉凶、禍福、悲喜、善悪ことごとくは、己から出たものが己に帰るだけである』
『今日をもって昨日を嘲るな
明日を思うて今日しりごむな
悲しいときは泣け
うれしいときは踊れ
食べよ 恋せよ 望めよ 愛せよ
変わるままに変われ
しだいによく変われ
かわれかわれ
とわにかわれ』
私も少しずつ変わらなきゃ。
今日も人手不足のため店舗で販売。
いつになったら会社へ戻れるのかな・・。明日は漸く休みなので、年賀状を書かなくちゃ。
結局大掃除もしないで年越しちゃったし、新年といえどもやるとこ一杯だわぁ。
で、ここのとこちょっと疑問に思ってること。
スキンの変更をしたのに、いつになっても変わらないのは何故?管理画面から自分のブログに行くと変更されてるのに、お気に入りから行くと必ず前のスキンになってる・・・・うーん。
他のPCからだとどんなスキンになっているんだろう??・・・不思議だ。(もしかして私の設定ミス?!)
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