本音と建て前を使い分ける・・・・大人になったら、それは当然の振る舞いだ。本音を本音のまま出してしまう人は、バカ正直と言っても過言ではない。(私はどちらかと言えば、そのタイプ。だから年中問題が絶えない)建て前を使うのは何故か・・・。それはやっぱり、人間関係をうまく繋ぐためだろう。
本当はこう思っているのだけど、それをそのまま言うと相手から嫌われてしまう、または取り敢えず合わせないと話が先に進まない、相手にしてもらえない、そんなことから気を使わざるを得ないのだ。ただ、建て前だけの人は、要は八方美人なだけのような気がする。
自分の存在価値をアピールするため、自分の懐の広さを見せ付けるため、そんな言動に出るんだろう。実際、この建て前だけに乗ると痛い目にあうと思う。
本当の本音は違うのだから、上っ面だけ合わせても、人間関係にひびが入るのは間違いない。このときに入るひびは、壊れてもおかしくないほどのひびだ。
修復は困難だろう。それならば、先に本音を聞きだし、回避する方が余程相手と良好な関係を保てると思う。本当の自分はそれを望んでいないなら、NOと言っても、相手との関係は壊れるはず無いのだ。
もしそれで壊れるようなら、その相手と自分は縁が無かったものと見ていい。
自分の人生に必要な人間ではないのだ。本当に相手と長く付き合いたいのなら、その相手の本音を聞きだすことが一番だろう。
人間、誰しも本音の部分でしか心を開けない。
何故八方美人になるのか。
何故相手が迎合しようとするのか。
その裏を読み取るようにしないと、相手も傷つくし、自分も傷つく。
ただ、自分でも気づいていなくて建て前だけ言ってることもある。
話してて、少しでも引っかかること、まずいかな、嫌だな、と思うことはやはり本音が別にあるわけだから、そこは自省して考えないといけない点だ。この世で生きていくためには、良好な人間関係は必要不可欠。
思いやりを持って本音を出せるよう、常々考えていきたいものだ。
何故人はブランドが好きなんだろう。先日もTVで、夫に内緒でシャネルを買い漁ってる主婦が出ていた。本当に優れたものは、実用性を兼ね備え、尚且つ長持ちする。
それがブランド物だったりする訳だが、持ってる人を見ると、そんな風に思える人は少ない。要は、他の人がおいそれと持てない物を持つことで、優越感に浸りたいだけのような気がする。
または、みんなが持ってるから、自分も持たなくては恥ずかしい、という横並びの現象か。ダンス用品ならともかく、私はブランドというのに拘ったことは一度も無い。
あればやっぱり嬉しいだろうが、自分から買うことも無い。
まずはお金が無い、のが一番。
次に、まったくの実用本位だから、用を成せば何でもいい、ということ。ブランド物はうちにもあるが、自分から買ったものは一つも無く、中古品をもらったり、海外のお土産(かなりアヤシイけど)ばかりなのだ。いろいろ持ってる人は、お金があるんだなぁと素直に凄いと思う。
でもそれが欲しいかと聞かれれば「別に・・」と思う。宝石やブランド物のバッグ、財布、洋服などは、持ってるだけで気疲れしそうだ。
どんなに高い宝石やバッグを身につけていても、それに見合う格好でなければ、返って恥ずかしい。せっかくおしゃれに決めても、履いてる靴がヨレヨレではそこで全部台無しだ。自分に似合うかどうかは考えるにしても、私は基本的に「服はサイズが合えば良い」、「家は住めれば良い」、「車は乗れれば良い」の人である。なまじ外車なんか買った日には、維持費、税金でのた打ち回るだろう。
自分らしさを見つけるのは必要なことだが、「らしく」あるために振り回されるのは本末転倒だ。
ただ、私はバカにされるのが一番嫌いだから、ブランドを必要ないと思っても、そこに現れる持てる人の選民意識に過剰に反応してしまう。
どうせ言われるなら先に言ってしまえ、と卑屈になったり褒めちぎってみたり・・・・。
相手が一番喜ぶことを、必然的にやってしまうのだ。
しかし、どんなにお金をかけようと、人間何を着てるか、ではなくて、どう生きてるか、だよな。自分自身を精一杯生きてる人は、何を着てようと、何に乗ってようと、その存在自体がカッコ良い。無駄な選民意識は捨て去るべきだ。
その人たちに認められたからといって、人生に何の足しになる?!
桜は私が最も好きな花だ。目も鮮やかに一気に咲き、吹雪のように散っていく。天気は悪いが、桜は今が満開。
出先で満開の花を眺めては、慰められている。去年はとてもとても楽しみにしていて、桜が咲くのが待ち遠しかった。今年はいつの間にか満開になってしまったようだ。桜は毎年変わらずに見事に咲くけれど、見てる私は去年とは違う。今年、こんな気持ちで眺めるなんて思わなかった。でも綺麗な桜を眺めていると、生きてるだけでいいのかなーなんて考えてしまう自分もいる。
さくら・・・さくら・・・
今まであったことがこれからもあるとは限らない。
桜は必ず散ってしまうのだから。ずっと変わりなく一緒にいられると思っても、儚い夢に過ぎなかったりする。散る桜 残る桜も 散る桜誰が特別なんてわけじゃない。
みんな同じだ・・・。それでも来年また桜は咲く。
散ったとしても、また見ることが出来る。
自分がどんな状況でも、どんな気持ちでいても、桜はまた咲くのだ。今年は、散る桜に想いをこめて眺めてみよう。
今日、再び母から責められた。ここのとこ、しょっちゅう呼び出されて、文句の言葉を浴びせられてる。運転中にかかってきた電話は、容赦なく私の心をえぐり、悔しくて悔しくて涙が出そうだった。これほど血縁を疎ましく思ったことは無い。他の人から見れば、私の家の揉め事は「いつものこと」だ。私は、ずっと「いつものこと」という括りで何でも見られてきた。仲間内での揉め事も、いつものこと。
先生との言い争いもいつものこと。
母との確執もいつものこと。そう何でも「いつものこと」なのだ。
当事者にとっては、いつも同じようなことが起こっても、「いつものこと」では片付けられない複雑な気持ちがある。多分、聞かされるほうが嫌気がさし、「いつものことじゃん」と流したくなるのだろう。自分のことでなければ、誰かがイジメにあったとしても、いつものことでくくれるに違いない。いつものこと・・・
いつものこと・・・当事者は何も言えなくなり、追い詰められる。私は「いつものこと」という言葉が大嫌いだ。「いつものこと」という言葉がどれだけ冷淡に聞こえるか・・・。大げさにしたくない気持ちの表れかもしれないけど、使い方を間違えれば、これほど冷たい言葉もない。
もう何年も、私はずっとこの言葉を聞いてきた。
試しに、誰かが愚痴を言ったとき「いつものことじゃないか」と答えてみるといい。
その人はもう二度と口を開くことは無いだろう。
何とか浮上してきている自分がいる。少し耐性をつけようと、見なきゃいいものを散々見ている。今日も、どうしても気になって、また見てしまった。生ではもちろんダメ。
ビデオだから見られるのだ。最初に見たときは、気も狂わんばかりだった。今見ても、やっぱり悲しい。どうしてそうなってしまったのか・・・。
何故そこでやることになったのか・・・。自分が決して出来ないことを、見せ付けられるのは悲しい。そんなことを思う私は・・・・多分嫌われてるんだろう。それでも、何かのときはその人の力になりたいと思っている。
助けられてばかりだから、せめて私に出来ることは何でもしたい。
私の想いの先は、神様しか知らない。
でもそれでいいんだろう。泣いて、笑って、苦しんで、嫉妬して、喜んで・・・一生懸命毎日を送ることで悟ることもある。気持ちがどこかにランディングするまで、迷い続けることも必要なんだ。
最近読んだ本に、私にとってほとんど「天啓」とも思える内容が書いてあった。嫉妬、憎悪の感情からは、何ら魂の成長はありえない、と。私は嫉妬に狂う立場に無く、またその感情を持ってもいけないのだ。自分の中で、その関係を変化させなければいけないと思っている。
私の場合、「無条件の愛」でしかなかった。
そこに相手は存在せず、自惚れの自己愛しかない。何があったわけでもないし・・・。
何か進展があったわけでもない・・・。
最初から、何にも無かった・・・。もし気を揉む人がいたら安心して欲しい。
何にも無いんだから・・・。・・・にしても、私は一体何をしてるんだろう?と悩むことばかり・・・。ちゃんと道を正して、進んでいかなければ。
もうダメです。
殺してください。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
もうダメかもしれないと、本当に思っている。自分のブログに女房の悪口書いてなんになる。私が読むと知っていて、何だあの書き方は!!毎日、毎回、私の悪口ばかり・・・。どうしてほしいんだろう。いい加減嫌になってきた。
先週も木曜、今週も木曜にダウン寸前になってる。耐え難い疲労感に襲われて、何も出来ない。もう仕事辞めちゃいたいなぁ・・・。でも働かなくちゃ食べていけないし・・・。
生きていくって、結構大変なことだよね。
かなり疲れていて、戻ることが出来ない気がしてた・・・。でも、何とか無事に辿り着く。きっと、出る直前につけた香水のおかげだったのかも。優しく包んで守ってくれるようで、安心できたから。
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