「普通」が最も優秀だという言い聞かせ
6月
14日
「普通」
「常識」
「風習」
「あたりまえ」
それは言い換えると、
「今まで通り」のこと
【しきたり】とか
【お決まりのこと】
なんだと思ってる。
それが『普通』。
誰も疑問に思わず、形式を守ることに慣れていた。
疑問に思わないわけではないが、疑問を持つことの必要がなくなっているのかもしれない。
例に漏れず、自分もまたルールを守る
「優秀な一員」
としてその場にいた。
あるときふと
「この時間、ほんとうに意味あるのかな」と感じた。
数字や状況は共有されるが、議論は生まれない。
表面をなぞるような確認だけで、何ひとつ動きがない。
それを淡々とこなすだけ。
(感じた違和感は、言っちゃダメなのか?)
空気を乱したくない
嫌われたくない
1人にされたくない。
そんな気持ちが、声を押しとどめていたように思う。
ある日、ちょっとしたミスで、正しい共有事項が抜けていた。
咄嗟に
「今日は違う形で共有させてもらえませんか」と、口を出た。
するとある人が
「いいよ。どうぞ」
と応じてくれた。
そこから、実際に動いた内容の背景や、学び、次回につなげたい問いを共有したところ
コミュニティの空気が一変した。
そこからは、ただ共有すればよいのではなく、
「どんな価値が生まれるか」
「何に気づいたか」
「どんなことなら一緒にできるか」
を言葉にすることを意識した。
同時に、他のメンバーにも“問い”を向けた。
最初は戸惑っていたが、少しずつ「納得できるストーリー」が語られるようになった。
「当たり前」に飲まれず『到達したいゴール』に目を向ける姿勢がコミュニティに伝播しているのを実感した。
「普通だからやる」
は、思考停止の合図かもしれない。
「それってあたりまえだよね」
って言われたら
「知らんがな」
ってつぶやけ(笑)
誰もが続けている“慣習”にも、少し違和感を持ってみる。
すると
そこに眠っていた価値や可能性が立ち上がる。
熱を帯びた思いがそこにあるんだ。
疑問を持つことは、否定ではなく“問いかけ”であり、変化のはじまり。
自分の中にある
「これって本当に必要?」
という小さな声に、耳を澄ませてあげたいな。