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聖書の教える死後の世界~「不滅」に反対する議論・その2

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イスラエルもすっかりと春の装い... イスラエルもすっかりと春の装いです
不信者が死後、永遠に苦しみに遭うとはあまりに酷い・残酷な教えなので
しばらくの苦しみの後で霊魂が消滅すると教える団体もある。

その根拠としている聖句を以下にあげて
それに対する反論を記す。

結論として、聖書は一貫して霊魂の不滅を教えている。

人は神よりも賢くなってはならない。



① 「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより、たましいもからだも、
ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」 (マタイ10:28)

「殺す」とあるのが存在の抹消だと出張するが、
ギリシャ語のアポルミ(ἀποκτεννόντων )は抹殺を意味しない。

以下の例は「失われた状態」を意味するものとして使用される。
「イスラエルの家の失われた(アポルミ)羊のところに行きなさい。」
(マタイ10:6)


② 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ7:13 )

「滅び」は原語でアプレイヤ(ἀπώλειαν )であるが、
これも抹殺ではなく、「無駄な状態」「役立たずの状態」を意味する。

例として、
「弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。
「何のために、こんなむだなこと(アプレイヤ)をするのか。」 (マタイ26:8)


③ 「 ところがこの者どもは、捕らえられ殺されるために自然に生まれついた、
理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。
それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。」
(2ペテロ 2:12)

ここでの「滅ぼされる」は「フソーラ」というギリシャ語であるが、
それは腐敗や堕落を意味している言葉で、抹消と言う概念はない。


④ 「人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、
突如として滅びが彼らに襲いかかります。
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、
それをのがれることは決してできません。」
(1テサロニケ5:3 )

「滅び」は「ホレフロス」であるが、
大艱難時代の物質世界の滅びのことである。


⑤ 「その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、
来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。」
(2テサロニケ 2:8 )

この「滅ぼす」は「カタルゲオウ」であり、
反キリストが地上世界で働けなくなることを意味している。

やがてそれはゲヘナへ投げ込まれるが、そこでも生きている。
「彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける」(黙示20:10)

地上からの存在はなくなるが、その存在自体が抹消されるわけではない。

⑥  「見よ。すべてのいのちはわたしのもの。
父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。」
(エゼキエル18:4 )

死とは分離を意味していて、抹殺でない。

「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、
歩んでいました。」
(エペソ 2:1-2 )


⑦ 「霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、
その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。」
(詩篇146:4 )

ここで滅びるのは、人ではなくその計画に過ぎない。


⑧  「生きている者は自分が死ぬことを知っているが、
死んだ者は何も知らない。
彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。」
(伝道の書9:5 )

伝道者の書は神なき人生の哲学をソロモンが求めて記したもので
聖書的な価値観が書かれているものではない。

聖書的な教えは結論部分の12章になって見出される。


⑨  「神である主は土地のちりで人を形造り、
その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで人は生きものとなった。」
(創世記 2:7 )

「あなたは、顔に汗を流して糧を得、 ついに、あなたは土に帰る。
あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、 ちりに帰らなければならない。」
(創世記 3:19-20)

ここでは人が土に返り、無に帰すると教えているのではない。

土に返るのは肉体だけであり、霊魂は生き続けると聖書は明言する。
ルカ16:19~31


⑩ 「ハデスやシェオール」は「忘却と死」とを意味していると主張する。

それは本来の原語の意味にはない。

ルカ16:19~31を見ればそこでは意識のある霊魂が覚醒し続けている。


⑪ 「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、
御子のために和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」
(コロサイ1:20)

「地にあるもの」すなわちハデスやシェオールにいる霊魂は
すべて和解状態にあり、もはや苦しみの場所は存在しないと主張する。

しかし、ここでは例外なしに全てのものが和解させられたと教えていない。

「どんなものでも」、「さまざまのものが」という意味である。


⑫ 「それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって
明らかにされたのです。
キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。
(2テモテ1:10)

ここでの「死」とは肉体の死(第一の死)のことであり、
最後の審判の後のゲヘナでの第二の死のことではない。

⑬ 「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、
と定められているからです。 最後の敵である死も滅ぼされます。」
(1コリント 15:25-27)

ここでの「死」とは肉体の死(第一の死)のことであり、
最後の審判の後のゲヘナでの第二の死のことではない。



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