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「わたしにとどまりなさい」

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「わたしにとどまりなさい」
 
 
 
ホサナキリスト教会日曜、礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「わたしにとどまりなさい」
 
 
 
"わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。"
ヨハネの福音書 15章1~5節
 
 
 
"父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。"
ヨハネの福音書 15章9~15節
 
 
 
(1)  ぶどうの木と枝
 
 

 ①イエス様はぶどうの木であり、私たちが枝、父なる神が農夫
  たった今でも、私たちに実を成らせるために農夫は働き続けておられる
  「実」とは、愛、喜び、平安などの御霊の実(ガラ5:22)
 

②農夫の世話
  「取り除く」=地面から引き上げる、持ち上げるの意味。大きな石を挿入し、空間を与える。
  「刈り込み」=きよめる。3節と同語
 
 
 
(2) たった今、イエス様にとどまる
 
 
①主イエスは私たちを探しておられる
  弟子はいても、真の意味で友のいなかった孤独な主イエス
  私たちを友と呼ぶために、今日も声をかけておられる
 

②命を捨てられた主イエス 15:13
 真の友、最大の友となられた主イエス
 
 
 
(3)  主イエスの言葉にことばにとどまる
 
 
 ①ことばとは、主イエスご自身 15:3,7  「初めにことばがあった」(1:1)
  ことばが私たちのうちに受肉することによって、主は私たちに内在される
 
 
②愛にとどまる 9-10節
  主イエスにとどまる結果は、愛に生きること
  具体的には、他者を認める、褒める、励ます
 
 
(結論)
 
 
世界に革命を起こされた主イエス
愛による革命であり、それは現在も進行中である。
#メッセージ

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