「私の名前を呼ばれる方」
10月
16日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「私の名前を呼ばれる方」
イザヤ書 49章1~6節
"島々よ、私に聞け。遠い国々の民よ、耳を傾けよ。主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた。
主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私をかくまい、私を研ぎ澄まされた矢とし、主の矢筒の中に私を隠された。
そして、私に言われた。「あなたはわたしのしもべ。イスラエルよ、わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。」
しかし私は言った。「私は無駄な骨折りをして、いたずらに空しく自分の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは主とともにあり、私の報いは私の神とともにある。」
今、主は言われる。ヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、母の胎内で私をご自分のしもべとして形造った方が言われる。私は主の御目に重んじられ、私の神は私の力となられた。
主は言われる。「あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」"
(1) 存在理由を尋ねて
①人が偶然に生まれてきたのなら、生きる価値を問う意味はない
進化論教育に人を生かす力はない
②あなたの存在する以前よりあなたを知り、あなたを価値あるものとして創造された方がいる
ここに初めて人は人生の生きる意味を見いだす
(2) あなたの名を呼ばれる方
①
名を呼ぶとは、他者と区別し、特別に価値あるものとして認識すること
「母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた」
②それはあなたと関わり、期待しあなたを通して何か目的を果たしたいとの思いゆえ
(3節、6節)
(3) 創造者の栄光を現すものとして
① すかし、それとは逆の人生のように思える~無駄な骨折りをして来た
それすら神の許しの中で起こった~「矢筒の中に私を隠した」(2節)
②神が力となられて
無駄だと思っていたが、報酬は神と共にある。神は見えないお方だ(4節)
(結論)
人は期待されて、愛を感じるときに生きる喜びを知る
あなたを創られ生かしている方と出会うときに、生きる意味と自身の尊さを知る
この方が、あなたの名を呼んでおられるのだから