ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「キリストの言葉がもたらす革新」
ヨハネの福音書 6章60~65節
"これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」
しかしイエスは、弟子たちがこの話について、小声で文句を言っているのを知って、彼らに言われた。「わたしの話があなたがたをつまずかせるのか。
それなら、人の子がかつていたところに上るのを見たら、どうなるのか。
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。
けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。」信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。
そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」"
(1) 人を生かす切り札
人は食物を摂取して肉体的生命を維持している。
同様にもう一つの隠された命を支えるのは、
主イエスの肉であり血を食する者であると言う。
「これはひどい言葉だ」として多くのユダヤ人らは去っていった。
主の比喩的なお言葉を理解できないでいる。
食するのと同様な実存的な帰依・親炙がモチーフとされている。
(2)霊であり命
命を根本的に支えているのは肉体ばかりではない〜そこには心理的または霊的な要因があり、現代科学でも証明されている。(例)プラシボー効果。
言葉と霊との関係。
主のお言葉には霊の力があり、そのお言葉を受ける者には御霊の働きに預かる。
(例)日本古来からも同様のアイディアがある〜言霊
(3) 父なる神に至らせる
① 主はやがてもといたところに上られる(62)=父のおられるところに帰られる
主のお言葉を受け入れたもの達を父のところに導かれる。
②その啓示に預かり主のお言葉を受けるのも父なる神の意思によるもの(65)
(結論)
主イエスのお言葉を通じて私自身にも御霊が働くものにしてもらおう。
その働きは私たちをして父なる神の御下へと導く。
そのように御父は当初より意図されて私を招いておられるのだから。
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