「天と地の接触点」
1月
2日
「天と地の接触点」
ルカの福音書 1章26~38節
"さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
神にとって不可能なことは何もありません。」
マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。"
(序論)
あけましておめでとうございます。
旧年と新年の境である正月を迎えました。
天が地に介入するところ、天と地の接点について思いをめぐらしたいと思います。
ナザレに届けられて
①ナザレはガリラヤにある寒村。誰も注目しないそこの1人の少女のところに突然現れたみ使い。
「おめでとう。恵まれた方」
② これは一方的な神からの介入であった。
「あなたは神から恵みを受けたのです」
地から出て地にに帰る人間。私のような小さなもののところにも神の恵みは届けられた。
(2) 乙女に届けられて
①処女懐妊は人間の頭脳・理性・経験からはありえないこと。
多くの方がこの奇跡を受け入れられないでいる。
「聖霊」の働きが人間の物質世界にも届けられる事が受け入れられないゆえ。
② 精霊と聖霊の違い
精霊〜自然界のあらゆる森羅万象にも神々が宿る。その神々は人間界に関与するが限定的。
聖霊〜三位一体の神ご自身であられ、世界を創り維持し今も導かれている方。よって私たちへの関与は有限ではなくその経験や理性を超えることがある。
「聖霊があなたの上にのぞみ、いと高き方の力があなたを覆います」
⑶ マリヤに届けられて
①聖霊の働きを全人格を通じて受け止めた
「本当に私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉通りこの身にになりますように」
親戚のザカリアの不信仰との相違(ルカ1:18-20)
②主の啓示のお言葉に自らを差し出した
「神にとって不可能なこと言葉)は1つもありません」
(結論)
天からの恵みは地に介入して、この私にも届けられている。
聖霊様がこの私の物理的即物的現実的人生にも関与しておられる。
そこは天が地にも介入している接触点となる。
これを体験して、主の御言葉にこの我が身を差し出して行く新年とさせていただこう。