「わたしは背負って救い出そう」
12月
20日
「わたしは背負って救い出そう」
イザヤ書 46章1~4節
"「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
彼らはともにかがみ、ひざまずく。重荷を解くこともできず、自分自身も捕らわれの身となって行く。
ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。"
(序論)
クリスマスおめでとうございます。
ヨセフの夢の中に現れたみ使いは次のように預言しました。
"「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。"
(マタイの福音書 1章23節)
主イエスが地上にお生まれになることで「神がともにおられる」事実は否定出来ない確かさとして我々の目の前に出現しました。
主イエス誕生以前の旧約時代にもイスラエルの歴史の中でその事実を確認することができます。
背負われたイスラエル
①「ベル」「ネボ」(1)とはバビロニアの神神。それらは荷車に乗せて運ばれて行く。
偶像との対比。神はイスラエルを担われ、運び、背負ってこられた。
② 「背負う」とは、一体となること。
その混乱の歴史の中で滅びることなく神の遺産を守り続けた。
(2) いつから背負われたのか
①「生まれる前から」(3)
つまり自覚できる前から。いや存在の始まる前から神の選びが私たちに働いていた。
② 「しらがになっても」(4)
弱さや限界を知った後も。病に倒れ自らを失い罪に汚れた者であったと気づいた時にも。
⑶ どうやって背負われるのか
①自らの背負っている荷物を主イエスの下に降ろせば良い。
自己が我執としているものからの解放される。
②主は私が担い切れなかった荷物ごと背負って下さる方。
(結論)
私たちにできることは、背負っていただいている主の背中で感激する他ない。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。"
(マタイの福音書 11章28~29節)
・主イエスのところへ行くこと
・主とくびきを共にすること
・主から生き方を学ぶこと