「主の足元に座って」
11月
21日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「主の足元に座って」
ルカの福音書 10章38~42節
"さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」"
千々に乱れる心
①平凡な日常生活に押し寄せる問題の波
戦争のない平和な世の中であったとしても
心が騒ぎ、聖書の言葉が響いてこない時
② マルタの例
一家の長としての責任の重圧〜13人の訪問客のもてなし
食事と宿泊の手配
(2) 主イエスの呼び掛け
①個人的でそのTPOにマッチした呼び掛け〜「マルタ、マルタ」
聖書で名前が2度繰り返し呼ばれている例〜モーセ、サムエル、シモンなど。
② パニックに陥っているマルタに寄り添ったもの
単刀直入でありながら彼女を理解し包んだおことば〜彼女自身の本質が呼び覚まされた
⑶ 主の足元にて
①たった1つの必要なこととは何か
必要な事は多々ある。食事もベッド作りも。しかし本来の自分自身を取り戻す程に大切なことが他にあろうか。
②そこで語られるみことば〜そこで私自身が何者であり、何が期待されているのか、私の行くべき最善の道を語っていただこう。
(結論)
エルサレム郊外ベタニア村の3姉妹の家は、主イエスにとっての憩いの家であった。
心尽しの食事と暖かな寝具で疲れを癒いやされ、さらにみことばに傾聴するマリアに大いに慰められたに違いない。エルサレムで死を遂げられるミッションを理解したのは彼女のみであった(マルコ14:1-9)。主イエスとの人格的な交際とは、仕え仕えられる双方向によるものと言える。