「言葉を話したロバ」
6月
21日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「言葉を話したロバ」
民数記 22章21~35節
"バラムは朝起きて、自分のろばに鞍をつけ、モアブの長たちと一緒に行った。
しかし、彼が行こうとすると、神の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちはだかった。バラムはろばに乗っていて、二人の若者がそばにいた。
ろばは、主の使いが抜き身の剣を手に持って、道に立ちはだかっているのを見た。ろばは道からそれて畑に入って行ったので、バラムはろばを打って道に戻そうとした。
すると主の使いは、両側に石垣のある、ぶどう畑の間の狭い道に立った。
ろばは主の使いを見て、石垣にからだを押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、バラムはさらにろばを打った。
主の使いはさらに進んで行って、狭くて、右にも左にもよける余地のない場所に立った。
ろばは主の使いを見て、バラムを乗せたまま、うずくまってしまった。バラムは怒りを燃やし、杖でろばを打った。
すると、主がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」
バラムはろばに言った。「おまえが私をばかにしたからだ。もし私の手に剣があれば、今、おまえを殺してしまうところだ。」
ろばはバラムに言った。「私は、あなたが今日この日までずっと乗ってこられた、あなたのろばではありませんか。私がかつて、あなたにこのようなことをしたことがあったでしょうか。」バラムは答えた。「いや、なかった。」
そのとき、主はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、主の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。
主の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。
ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」
バラムは主の使いに言った。「私は罪を犯していました。あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられたのを、私は知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」
主の使いはバラムに言った。「その人たちと一緒に行け。しかし、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」そこでバラムはバラクの長たちと一緒に行った。"
ロバの奇跡
①3回、意にそわないロバを打ち付けたバラム
ロバには「主の使いが抜き身の剣を手に持っている」のが見えていた。
②「主がロバの口を開かれた」ので抗議してバラムとの会話が始まった。
(2) 神の摂理
①バラムの目の覆いが取り除かれた。
事の真相を理解し、ロバが身を交わさなければ命がなかったことを告げられた。
②主の使いとは受肉前のキリストである。
バラムにとって行く手を阻む敵対者であったが、実のところ罪から救う救助者となっている。あらゆる道において神の摂理の御手を認めよう。
⑶許容される神
①バラムの悔い改めは表面的であり徹底したものではない(34)。もし本気なら条件をつけずに引き返したはず。
②「その人たちと一緒に行け」〜神の消極的で許容的な御心の表れ。私たちが頑なで強い自我があるなら、神がそれを許されるが喜ばれているわけではない。
(結論)
"彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、
自分の不法な行いをとがめられました。口のきけないろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。"
ペテロの手紙 第二 2章15~16節
バラムの下心には、「不義の報酬を愛する」と言うものがあった。明確な神の御心が示されているのに、不純な動機でこれを曲解するなら悲劇的な結末につながる。