「わたしが道である」
ヨハネの福音書 14章2~11節
"わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」
ピリポはイエスに言った。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。
わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。
わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。"
⑴ Thomasの筆問ー「どこへいらっしゃるのか私たちにはわかりません」(5)
①弟子たちを代表しての当然のレスポンス
ここで主は十字架による死、ヨミに降ること、復活、昇天、パラダイス創設、再臨までを語っておられるが弟子たちにはちんぷんかんぷん。
②「わたしが道である」
これら神の国設立までの全プログラムを知らなかったとしても救いに漏れる事は無い。イエスご自身を受け入れていたのなら主が全てを成就してくださるから。
⑵ピリポの質問ー「私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」
①「わたしを見たものは、父を見たのです」
栄光の神ご自身が30代の通常のユダヤ人男性であると受け入れることが困難だった。
神の栄光の姿を限定的にしか体験し得ることができないのは現代の私たちも当時の弟子たちも同様である。
②「さもなければ、わざによって信じなさい」
メシア的奇跡と呼ばれるわざによって主自身がメシアであられることをユダヤ共同体に分かる形で提示された。
今日の私たちの文化脈に従って主はご自身を啓示しておられる。
(結論)
やがて顔と顔と合わせて主とお会いすることができる
"今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。"
コリント人への手紙 第一 13章12節
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