「からし種ほどの信仰」
2月
3日
「からし種ほどの信仰」
ルカの福音書 17章4~10節
"一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。」
使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」
すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。
あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。
むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。
しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。
同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」"
⑴信仰を増してください(5)
①弟子たちの願い
主のの行動と行いについていくには信仰が必要であると感じた
②到底実践的出来そうにもない教え
1日に7度許しなさい
罪を犯しているものを戒めなさい
⑵からし種ほどの信仰(6)
①ユダヤ的文学表現〜巨大な困難の比喩
その困難の克服は信仰の大小ではなく有無による
②信仰による偉大な業績
その資源はすべて神から来るので私どもは無益な僕であるとの立ち位置を保たねばならない
⑶信仰がいやしたのです(19)
① 10人のうち1人(サマリヤ人)だけが感謝のために戻ってきた
9人はどこにいるのか(17)〜彼らの信仰はイエスを利用するだけのご利益信仰
②サマリヤ人はイエスへの人格的な信頼があった
それ故肉体的救いばかりでなく霊的な救いにも預かっている。感謝と言う行為は信仰の表れ
(結論)
神の前における自分の分をわきまえなくてはならない。神の資本を使用させていただいている私たちは、決して「何かを仕上げた」と言う意識に立ってはならない。