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追憶

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しばらく中断していましたが、日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

その第39回目は、回想録の最終章に入り、思い出深い方々を追憶している場面です。



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第五部


追憶


牧野克己さん


日本は幾世紀もの間、偶像のお寺や神社と長く深いつながりがあり、またそれらは強力な領有権を有する地主としての勢力を人々の間に伸ばしてきたので、多くのキリスト教会はそれらの宗教組織とは別個の地所に墓地を設ける必要がありました。その点、幸いなことに錦では町立の墓地区域が整備されていました。

その区域の中に私たちの教会用墓地を購入することができました。その購入時には既に私どものメンバーの一人がこの世を去っておられて、彼の遺骨は今やそのふさわしく整えられた墓地に安置されています。

最初に彼が私たちに紹介されたのは、彼の息子さんによってのことです。
当時その息子さんは結婚問題の只中にあり、フィアンセさんとともに教会においでになられていました。

日本において結婚とは、愛し合っている二人だけの決心で済むことでは無いのです。
彼らの家族や多くの親族縁者が絡み合っていて、ときには痛ましいく思うほどです。

そのフィアンセの若い女性のお姉さんは、すでに錦教会に導かれてクリスチャンとなっておられ、彼女の人生は主の前に正されていました。その若い女性は徐々にですが、祈りが問題を解決することを理解し始めたのでした。

約6カ月間、毎日の早天祈祷会に彼らは参加して、その熱心な祈りは彼らを変えただけではなく、教会全体にも大きな祝福をもたらしてくれました。

信仰に至った息子さんは、病と戦っている実のお父さんを訪れるように頼んで来ました。
約20年間も肝臓疾患のために入退院を何度も繰り返されていたお父様です。私はこれまで、そのような望みのない病状の人を前にしたことがありません。

聖書の神様のお言葉と祈りによって、彼は一筋の希望の光をつかんだかのようでした。やがてそのお父様は信仰を持ち、日曜礼拝に忠実に出席するようにもなられたのでした。

私たちは彼が完璧に癒されるように願いました。なぜなら、神様にとって不可能な事は何もないのですから。

時に彼の健康は回復したかと思うと、またひどい状態に陥っていきました。
ある日、彼の息子さんが電話をしてきました。お父さんの病状がおもわしくなく、手術が必要ではないか、と医師からの提案があったとのことです。

手術をするにしても手術をしないにしても、彼の命が危険にさらされていることには変わりありません。そこで私にアドバイスを求めて来られました。私にとっても決断は難しいものですが、主にとっては難しいものはありません。私はヤコブ書に書かれてある教えを思い出しました。

"あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、
その人は祈りなさい。
喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。
あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、
主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
信仰による祈りは、病んでいる人を救います。
主はその人を立ち上がらせてくださいます。
もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。"
(ヤコブの手紙 5章13~15節)

私は息子さんに、お父様にこれらの御言葉を読んで聞かせ、このことを信じるかを尋ねるようにと言いました。やがて連絡があり、彼は信じる、と答えたとのことです。

そこで私が病院にお見舞いに行く時点で、お父さんは彼自身が癒されることを確信出来ていました。お父様は泣いている妻に向かって、「もう家に帰っていいよ」と言ったのです。
その後、彼自身はバスを使って一人で帰宅出来たとのことです。

さらに彼は次の日曜日の朝、礼拝のため教会においでになられました。
主は彼をさらに強めてくださり、家業である電気機器関連の商売をしている息子さんの仕事を手伝う程に回復したのです。

時に体調が悪くなると、礼拝をお休みされる時もありました。
そんな時は必ず前日の土曜の夜に電話をかけてこられ、「どうも体があかんな。お祈りしてください」と言われ、電話口にて二人だけで祈った事は何度もあります。

私が米国にファローしていた期間、ついに主は彼を永遠の家にお召しになられました。
やがて全く癒された健康体の彼と再会できるのを楽しみにしています。


東有子(ありこ)さん


彼女が私たちから取り去られた時は、まだまだ彼女はキリストにある“赤子”でした。
私たち皆も同様に間も無く取り去られようとしていることには違いはないのですが。

ある日、彼女とは錦教会の熱心なメンバーである上野和子姉の知り合い、と言うことでお会いしました。既にその時にはドクター上野と奥様の和子姉は真実なクリスチャンとなっていらっしゃいました。

「どうか私を教会に連れてってください」と彼女は真摯に願い、尋ねて来られました。
彼女は忠実に教会に通うようになり、キリストのメッセージに関して質問や疑問はなかったようです。

彼女は私が英語クラスをしている上野邸のすぐ近くにお住まいだったこともあり、しばしば聖書と歌の本を携えてはそこまでやって来られました。私たちは多くの楽しい交流と学びの時を持ちました。彼女はクリスチャンとして成長し始めたのです。

彼女の生活がかなり変えられたものですから、夫とお子さん方もまた教会に来られるようになりました。彼女は暖かく、そしておおらかな心をお持ちの女性です。彼女はとても控えめながらも特別なご飯料理を作られた時、私と上野ご夫妻とがしばしば招かれては、彼女の家族とともに御相伴に預かりました。

しかし彼女の健康はすぐれなかったのです。彼女の実の姉は、現在の彼女が負っている健康上の問題ゆえに亡くなられたのでした。東姉はJR事務所で引退まで清掃のお仕事をなされました。
その引退以降、彼女の健康は崩壊して行きました。検査入院を前にした時、彼女は信仰を公に証しするために洗礼を申請して来られました。

私は元旦に、彼女の家族と共に過ごすように、とのお招きをいただきました。
楽しい交友と賛美の機会としてそれが最期となるとは、私たちは少しも気がつかなかったのです。その直後に彼女は入院されて行きました。

私たちは彼女を訪問し、希望を共有し、また共に祈りました。彼女にある溢れるほどの喜びまた生きた証しは、教会の中に必要とされていましたし、それは彼女の家庭にも地域にもそして親戚一同にもとっても貴重なもののはずです。

病院の医師も看護婦も、そしてすべてのスタッフは彼らのベストを尽くして彼女の命を支える努力を惜しみませんでした。彼女が取り去られるのを見るのは大変辛いものです。しかしながら、私たちは彼女が今やすべての痛みと苦しみとから解放されて、主イエス様の御腕の中で憩いを得ていることを知っています。

彼女が地上に残していった位牌は、今や錦教会のお墓の中に管理されていて、やがてのよみがえりの朝を待望しています。それに彼女は、常に私たちの心の中に生きているのです。


谷口お婆ちゃま


彼女のふっくらとした小さなお孫さんは、私どもの日曜学校生徒の中で最年少のお嬢さんでした。彼女とそのお兄さんは、日曜学校に必ず来るようになりました。

お嬢さんがイエス様のことを聞いたとき、彼女は主を受け入れて、しかも偶像崇拝に対して確固たる立場を取るようになりました。彼女のお母様は、子供たちを仏壇や神棚の前に座らせて拝せることを常としていたのですが、お嬢さんの亜希子ちゃんはその時、「イエス様だけが唯一で本当の神様なのよ」とお母様に告げたのでした。亜希子ちゃんは以来、仏壇の前で拝むのを拒んだのでした。

またそのお母様は、時に多くの重荷と問題を抱えたまま相談においでになられていました。
やがて彼女と二人のお子さんとは、赦しと平安、また喜びを信仰によって見出したのです。
祖父と祖母もまた、特別集会にはお見えになられていました。

お年を召された方にはとっては、神学的な教えを噛み砕いて伝えようとしても、なおも理解には困難さを感じられることが多いのです。しかし、もし彼らがイエスの御名を呼ぶことを学んだとき、そのお名前自体に力があることを発見するのです。そして彼ら二人にも確信と平安とがやってくる時が来ました。

"「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」"
(使徒の働き 16章31節)

祖父は最期の日々を、神様の尊いお約束のお言葉を読みながら平安を見出していらっしゃいました。
祖母はこの地上生涯を終えようとしている時、信者の友人に、「私は毎朝イエス様にお話ししてるのよ」と告げていたそうです。

このように全家族が大きな祝福を受け、さらに彼らを通じてその先祖からの相続地が錦教会新会堂のために用いられたのでした。こうして錦において福音が継続して宣教出来ることとなったのです。
祖父と祖母とが他界したときには、まだ教会の納骨堂は完成していなかったのですが、お母様の遺骨はその納骨堂に納められています。
#ドロシー師

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