「ともにおられる神」
8月
11日
「ともにおられる神」
マタイの福音書 28章18~20節
"イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」"
⑴信者に啓示されて来た神
①天地創造された方
仏教の輪廻転生世界観とは異なり、人はそれぞれが個体であり、死後は創造主なる神の前に生前の全ての言動が問われる。
②イスラエルの歴史において顕現された方
アブラハムとの契約、モーセの律法、そして預言者によるメシア的王国の預言など、、
⑵信者とともに歩まれた神
①OTにおいても人とともに歩まれた神。
エノク、ノア、ヨセフらとともに。
② 主イエスが人となってイスラエルの地を歩まれた。そこには自然災害、旅のための食物や住居の必要、人々の妬みと憎しみ、忖度する民衆の移ろいやすい感情など、ありとあらゆる人間模様の只中を歩まれた
⑶信者の味方・援助者・同情者としての神
「そこにある助け」(詩篇46:1)
OTの内容と意義がさらに圧倒的な現実として(カラー3D版)実現したのが聖霊降臨以後の経綸
「助け主」(パラクレートス)として私たちに寄り添ってくださる聖霊。"そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。"(ヨハネの福音書 14章16節)
(結論)
神が共におられるとは、聖霊様が私たちのうちに住まわれることと同義。
信仰者に今、実現していること。ヨハネ14:16では未来形時制であるが、使徒2章で成就。
「いつまでも」(ヨハネ14:16)=「世の終わりまでも」(マタイ28:20)
神が同行されるとは、理論的理解だけでなく経験的に捉えられてその事実に憩う事ができるように。