「主は与え、主は取られる」
5月
10日
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。
そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名は「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。
まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを今後紹介して行きます。
その第八回目は、サイクロンでドロシー先生のご家族の住む家が破壊された悲劇についてです。
サイクロンによって破壊された夢
広めの角の土地に建てられた小さいけれども私たちの白い家、父の奇跡的完全な健康の回復、大恐慌で最悪となった失業者数の時代にあって、私たち三人は教会付属学校で有意義な教育を受けることが出来たのです。
母とフォード車は再び忙しくミニストリーのために走り回るようになりました。
これ以上、私たちは何を望み得るでしょうか。
卒業間近となった時です。兄は卒業式用の真新しいスーツを素晴らしく仕上げてもらい、とても華やいで見えました。私どもは皆、期末試験のために忙しくしながらも目前となった夏休みを楽しみとしていたのです。
そんな時でした。突然の嵐が私どもの生活を一変させることとなったのです。
通常の西風にしてはだいぶ様子が違うようには感じました。
午後となって、私どもの小さな白い家が嵐によって完璧に破壊されたとの電話連絡を受けました。サイクロンよるものです。
私の母は無事でした。
私は学校からその壊滅的な現場に戻るまで、何が起こっているのかを全く把握できないままでした。
かつて私どもの家が立っていたその場所を見て、まるで悪夢を見ているのかと疑ったのです。
そして母は新聞記者たちやご近所さん、また多くの知り合いや見たこともない人々の中に囲まれて立っていました。彼女の目には涙が浮かんでいましたが、その声はハリのある勝利者のものであったと言って良いでしょう。
彼女は私の肩に腕をかけると言いました。
「シス(これは私のニックネーム)、今やこれが私たちの状態ですよ」
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」
(ヨブ1章21節)
すでにその時、彼女は新聞記者たちにこの聖書のお言葉を語っていました。
その彼女の証言は、翌日の新聞のヘッドラインを飾ったのでした。
彼女が後日、その嵐と被害について書き送った家族への手紙の中ではこのようにも言っていました。
「さらにひどい被害にあったかもしれないことを考えると、私には主を賛美するたくさんの理由があるように思えてなりません」
その嵐の時、父は職場にいました。私ども三人の子供たちは学校にいて、母は嵐が襲う15分前に主の働きのためにフォード車で出発していたのです。
私ども家族と車は助かったのです。
完璧に破壊されたのは私どもの家だけでした。
しかし母の手紙の中の言葉によると、他の人々の家は私どもよりかなり大きくて良いものなので、失ったものも同様により大きなものとなったはずなのです。