ヘブル人への手紙 5章 7,キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。 8,キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、 9,完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、 10,メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。 ⑴大祭司としての召し ①父なる神から与えられた栄養である。神から任じられたものであり自ら努力で獲得したものでは無い。同様に私たち信者も祭司として神に選ばれ、栄誉を受けたものである。 ②イエスが大祭司として就任した時はご自身の十字架と復活そして昇天し、神の右の座に出した時である。 ③比類ないユニークな地位への就任。「あなたはとこしへにメルキセデクの位に等しい祭司である」 王と祭司を兼ねたものでありモーセの律法では許されない地位である。 ⑵イエスの学科 ①「人としてこの世におられた時」貧困、屈辱、不条理等、人としての悲哀をつぶさに経験された。 ②「敬虔ゆえに聞き入れられた」神としての特権やそのミニストリーの成功報酬としてではなく、神へのデボーションゆえに祈りが聞き届けられたのである。私たちの祈りや救いが神に届けられるも同様で牧師家庭子弟、神学校卒業証書、教会内での成功業績によるものではなく、傾倒(デボーション)による。 ③従順を学んだ。人としてのキリストが地上において学んだ唯一の学科が従順である。 ⑶イエスの完成 ①ご自身の役割を完了された。人からの栄誉でなく拒絶の彼方に彼自身の完成があった。 ②救いの保障を完成された。「彼に従うすべての人々に対してとこしへの救いを与える者となり」 (結論) 私たちは自己中心に欲望と願望を実現することがこの世での幸いであると考えていた。そんな私たちに失敗や挫折を通じて神への従順と言うレッスンを与えようとチャンスを下さる。従順を通してそれぞれの召しを全うしよう。その彼方に栄光がある。 「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。 私はそれであなたの掟を学びました」 詩篇119篇71節