E-learningも卒業です
8月
30日
これまで8週間の間、宗教改革後のプロテスタント教会の歩みを学んできました。
8週目の講座で紹介された文章は衝撃的でした。
第二次大戦中の日本のキリスト教会は天皇国家主義の国策に飲み込まれ、礼拝式の最初に国民儀礼として宮城遥拝や国歌斉唱が行われたのです。
これは天皇を神とする国粋主義者からの圧力に屈したもので明らかにモーセ十戒の第1戒を破るものであり、創造主以外のものを神とする偶像礼拝に他なりません。
人はだれでも時代の制約の下に置かれているのであるから、
自由と平和が保障されている今の時代の私が見下げるようにしてその時の教会人を断罪する権利はありません。
その権利があるのはホーリネス教団やブラザレンなどの1部の牧師がこれを拒絶、治安維持法違反で逮捕され投獄拷問殉教に至ったわずかの人たちでしょう。
私の卒業した神学校の創設者、蔦田二雄先生は2年半ほど獄中生活を強いられています。
さらに驚いたことがありました。
多くの者たちは国粋主義者に屈服して信仰を曲げたのではなく自ら主体となって軍部の進める天皇崇拝、国家のアジア太平洋地域への進出に賛同していたと言うものです。
彼らは、いわゆるボーンアゲインした真摯な信仰者たちです。
その牧師・指導者たちは熱心に伝道し、祈りと奉仕に励んでいた彼らがそのように国家神道に積極的に飲み込まれていったと言う驚愕すべき事実。
人間は、自ら正しいと信じて進んでいる道がいかに自己免許にすぎないものか。
神の前に正しいこととは何かを常に聖書の言葉によって自己吟味し、聖霊のサーチライトに照らされ、謙遜になって客観視するのがいかに困難な存在であるかを驚きとともに再発見しました。
最終回の8週目は明治維新以後の日本プロテスタント教会についてでしたが、その動向を追うばかりではなく、白黒つけがたい微妙な題材を取り上げては、「あなたならどうしますか」と問うてくるのが本講座の特徴で、第1週目からのスタンスでした。
教科書を理解しては習ったことを陳述するだけの受験教育を受けてきた私には何ともとっつきにくい高度な講座となりました。
考える材料をふんだんに盛り込んでは「分かち合いましょう」と言って自ら考える思考訓練を与えて下さった講師の藤本先生、重厚な講義を補佐してビデオ編集に工夫を凝らしくださった大津姉の奉仕に心より感謝します。
65名と言う参加者それぞれのお考えを拝聴することができたのも宝です。
思えばテキストを講師自身に送付していただいて訪問先の山形の教会で受け取ったことから始まった本講座。
金曜の夜10時過ぎに教会に到着してから早速テキストを拝読。
翌土曜日はクーラーの効いた真新しい教会の事務室を借り切って3本のビデオを拝聴しリスポンス投稿し、締め切りギリギリに間に合ったのです。
本講座で始まった夏が、その終了をもって過ぎていくようでなんとも名残惜しいです。卒業式をしていただきたいような。。
「仰げば尊し 我が師の恩」(^^)