独裁者秀吉の行き着くところ
9月
2日
秀吉は南蛮からの宣教師に質問する。
「大きな船は何のためにあるのか」
宣教師:「キリシタンを異教徒から守るためです。」
さらに秀吉が問い質す。
「この秀吉の水軍でもかわなぬか?」
「九州では伴天連が領地を持っているのだな」
「伴天連共は我が国の一部を勝手に占拠し、大筒を積んだ船を造った」
……………………
九州征伐に自ら乗り出した秀吉は
キリシタン勢力がただならない程大きくなっているのを見聞する。
そして突然の伴天連追放令を発布。
腹心の高山右近にもせまる。
「直ちに信心を棄てよ」
右近は殉教覚悟で応える。
「身内や家臣、領民のことを思えば胸が張り裂けるおもい、
されど、信心を偽ることはできませぬ」
彼の部下たちは地位も所領も取り上げられてしまうのを惜しみ進言する。
「殿下と折り合いをつけたらどうか」
……………………………………………………
秀吉がキリシタン禁制に至るまでのこれらの大河ドラマ筋道は、
史料から裏付けられて定説となっているものであった。
さらに天下人に駆け上がって行く途上の秀吉の変貌も
ドラマは見逃すことなく克明に描写して満足の行くものだった。
竹中直人の顔の表情がうまい。
徳川家康を大阪城でひざまずかせたのち
九州遠征を成功させると、
秀吉の自尊心は大いに膨らみ
不可能のない万能者のような自意識を持つに至る。
それまではことごとく官兵衛に相談し、そのアイデアを積極的に取り入れていたが、
冷たい視線を向けながら言う。
「もうワシは決めたのじゃ」
「この話はこれまで」
「官兵衛、ワシはお前を成敗したくない」
専制君主と成り果てた者の行き着く姿がそこにあった。
己の権力基盤を盤石にするためなら
どのような無理難題もおかまいなし、
流血も、殺戮も厭うことはない。
1ー4世紀のローマ皇帝によるキリスト教徒迫害がしかり、
太平洋戦争中、現人神に拝礼を強要した日本のキリスト教弾圧がしかりである。