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「サドカイ人からの挑戦」

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ゴラン高原に咲くアイリス ゴラン高原に咲くアイリス

ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。

聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://hosannamin.org/whatsnew/view/22333-65

「サドカイ人からの挑戦」
マタイ22章23~33節
~マタイ福音書連続講解説教65~

主イエスが神の子羊としての十全性を吟味させられている場面が続いている。

すでに第一グループ(サンヘドリン)
第二グループ(ヘロデ党)からの挑戦・吟味を終えて、
今回は第三グループ・サドカイ人からの挑戦である。

サドカイ人についてまとめてみる。

1.その教理の特徴
•口伝律法の権威を認めていない
•トーラー(モーセ5書)のみが霊感を受けた正典であるとした
•死者の復活も死後の命も信じていない現世主義者
•天使、悪霊の存在や霊的な世界を認めない

2.その職種
•神殿を基盤とする祭司たちであり、貴族階級
•神殿境内での両替商やいけにえの動物販売で巨利を得ている
•少数であるが、サンヘドリンの有力な構成メンバーであった

3.その運命
•紀元前二世紀のハスモン期に起こった
•神殿のあるエルサレムにしか活動の基盤がない
•それゆえ主のガリラヤ伝道においては姿を現していない
•AD70エルサレム崩壊とともに消滅した


 サドカイ人らの質問(23~28)

 「23 その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、
イエスのところに来て、質問して、
24 言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、
その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない』と言いました。
25 ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。
長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、
その妻を弟に残しました。
26 次男も三男も、七人とも同じようになりました。
27 そして、最後に、その女も死にました。
28 すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。
彼らはみな、その女を妻にしたのです。」 (マタイ22:23-28)

これはレバリット法といわれるもので、
死んだ長男の名前を残し遺産相続を分散させないために
広く他の東洋民族も踏襲していた慣習でした。

復活を認めていないサドカイ人が
パリサイ人をやり込めていた問いでもあったのです。

主イエスはサドカイ人らに対して
「思い違いをしている」と単刀直入で答えられ、
その質問自体の前提に誤りがあるのを指摘されました。


①  「神の力を知らないゆえ」に思い違いをしている。

復活は神の力によるもので、
人の想像や常識を超えるものである。

その際には結婚、出産、死亡はもやはなく
天の御使いたちのようなものであるという。

ここで人間の女たちと結婚してネフィリムというアイノコを生んだ
創世記6章に出現する堕落した天使たち(すわなち悪霊たち)と
「天の御使いたち」とを区別しなくてはならない。

彼らは、
「自分の領域を守らず、自分のおるべきところを捨てた」(ユダ6節)
ものたちで、

現在では「暗闇の下」(タータルス)永遠の束縛をもって閉じ込められている。

やがての主の再臨が起こる時、
人間や世界のありようは根底が変えられるのであり

そこには推し量られない神の力が働いているのを見ることになる。

② 「聖書を知らないゆえ」に思い違いをしている。

復活を教える聖書を読んだことがないのか
と主はサドカイ人たちに問われた(31)。

復活を教える旧約聖書の代表的な聖句が3つある。
   ダニエル12:2
   イザヤ26:19
   ヨブ19:25~26

サドカイ人らはモーセ律法しか権威を認めていないので
これらの聖書箇所には触れられずに、出エジプト3:6を引用された。

「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」

当時のモーセ時代、3人の族長たちは死後400年程が経過している。

ここで神は現在形で
「わたしは⃝⃝⃝⃝の神である」ということは

神が「生きている者の神」であらねばならない前提があるので
彼ら族長たちには永世が与えられている論理的な結論に至る。

そして死後の永世は、やがての地上での復活に通じるのである。

③ サドカイ人の「パン種」に注意せよ

かつて主は弟子たちにそのように訓戒を与えられた(マタイ16:6)が
その「パン種」とは何のことであろうか?

  1.現世利益の宗教
   •サドカイ人らは神殿宗教から利益を吸い取っていた祭司・貴族階級であった。
   •私たちの宗教とは利益、成功、自己願望、自己実現のための信仰であるのか?
   そうであるなら、サドカイ人と変わらないものである。

  2.理性中心の宗教
   •自ら経験、認識できることしか信仰しない態度が彼らの宗教であった。
   •今日の自由主義神学者たちも人間理性中心の聖書理解にとどまり、奇蹟、主の復活も、再臨も信じることができない姿勢を貫いている。

  3.真の宗教は生ける神との体験である
   •霊感された神の言葉を通じて神に出会うことができる。そこには理性的に認知できる段階から信仰による飛翔が必要とされる世界である。
   •仲介者であられるメシア(神人)を通じて、私たちは神に至る事ができる。


「19 こういうわけですから、兄弟たち。
私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、
私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」
(ヘブル10:19~20)


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