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イスラエルと教会11〜その③

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「28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、
外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、
文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。
その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」
(Rom 2:28-29)

この聖句を真に理解するために
ローマ2:17-3:9 の文脈を確認している作業の第二回目である。

⑵神の義の基準にまで至らないユダヤ人の行い  ローマ 2:21-24

「21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。
盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
22 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。
偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。
23 律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。
24 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」
と書いてあるとおりです。」
(Rom 2:21-24)

ここでパウロが発している質問はすべて修辞的で、
全てにYESと答えが用意されねばならない文法構造となっている。

これらの質問を発しながらパウロが言っているのは、
先に指摘したユダヤ人としての数々の特権に伴う
責任を彼らは果たしてこなかったというもの。

彼はユダヤ人が特権を持った民族であるのを否定はしなかった。
事実、特権は彼らのものだ。

特権には責任がとなうのであるが、
その責を果たしてこなかったというのである。

ユダヤ人であっても異邦人と同様に神の義に達するに成功しなかったのである。

ここでパウロが論じているのは、エゼキエル36:20-21を土台としている。

「20 彼らは、その行く先の国々に行っても、
わたしの聖なる名を汚した。
人々は彼らについて、
『この人々は主の民であるのに、主の国から出されたのだ』と言ったのだ。
21 わたしは、イスラエルの家がその行った諸国の民の間で汚したわたしの聖なる名を惜しんだ。」



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