モーセ律法は有効かー その3
9月
18日
「では、律法とは何でしょうか。
それは約束をお受けになった、この子孫が来られる時まで、
違反を示すためにつけ加えられたもので、
御使いを通して仲介者の手で定められたのです。」
3番目の論考は、律法は永遠に存続する掟として想定されていなかった、という点。
それは一時的なものであり、いわば時限律法なのだ。
ガラテヤ書の「来られる時まで」という条件節に注目していただきたい。
この部分の文脈で、パウロはモーセ律法とはアブラハム契約に「つけ加えられた」ものであると解説している。15-18節
「15 兄弟たち。人間の場合にたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。
16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。
17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無効とされたりすることがないということです。
18 なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。」
(ガラテヤ 3:15-18)
人々に罪を明確に認識させる目的として
律法は「つけ加えられた」ものである。
これによって、全ての人は、誰もが神の義の基準には達しないことを知るのだ。
律法は一人の子孫(メシア)が来られる時まで、
一時的に付け加えられたものであり、
そのメシアが来られた今となっっては、
律法は終了した。
「付け加えられたもの」は、
十字架の役割が始動し始めたことにより廃止となったのである。