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モーセ律法は有効か〜その2

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❷ローマ10:4
「キリストが律法終わらせたので、信じるものはみな義と認められるのです」

「終わらせた」は、ギリシア語で「テロス」である。
この語は「終了」とも、「目的」とも双方に翻訳の可能な語句である。

古典ギリシア語辞典の権威であるThayer's Greek-English Lexicon of the New Testamentでは、
テロスの第1義的な意味を「終了」としている。
その上、ローマ10:4をその用法例として取り上げている。

それで「終了」とした方が通常のギリシア語用法からして相応しい、となる。

しかしながら、どちらの意味にとっても結局のところ構わない。

聖書は両方を教えているからである。

メシアは律法の指し示した目的であられたが、
同時に律法を終わらせた方でもあられる。

律法によって私達が義に至ることはない(ガラテヤ2:16)。
そればかりでなく、
律法によって聖化されることも、
栄光のからだを受けること(栄化)もない(ヘブル7:19)。

「19 --律法は何事も全うしなかったのです--
他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。
私たちはこれによって神に近づくのです。 (ヘブル 7:19 )

義認、聖化、栄化はメシアにとって与えられる恵みであることからすると、
メシアは律法の目的であったとしても良いはずである。

繰り返すが、
律法はこれらの祝福を教えているが、
成就には至らなかったのである。

そこでメシアの死によって律法は「終了」し、
現在では義認にも、聖化にも役立たないのである。
特に信者には無効とされている。

さらにつけ加えるなら、
ローマ10:4は、
ローマへの手紙のもっと広い文脈で解釈されなくてはならない。

そこにはローマ7:1-6も含まれている。

そこでパウロは「律法からの解放」を高らかに宣言しているのである。

首尾一貫した読み方をしようとすれば、
ローマ10:4は、「目的」でなく「終了」と解釈する他ない。














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