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ハンナの祈り

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新しく加わる方もいれば、帰国さ... 新しく加わる方もいれば、帰国されるかたも。。。。そのたびに寂しいものです。空港のスタバにて、お見送りで最後のコーヒーを楽しみました。 エリックも、かいがいしく荷物を... エリックも、かいがいしく荷物を運んだりチェックインのお手伝いをして。。。。。セキュリティへ。。。日本でも、神様と一緒に。。。。幸せでいてくれよって親心。。。
2019年3月3日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


有名な宣教師、ハドソン・テーラーのことばに、「祈りによってのみ人を動かすことを学べ」とあります。私は、この言葉を聖書学校の寮の壁に張り、聖書に挟み、祈ることを学びました。今日は、祈りで人生が変わり、またこの人の祈りで国が変わった人のお話しから学びたいと思います。

★聖書の歴史的背景は、イスラエルが神を王とする神政政治theocracyから人を王とする君主制monarchyに移行する前でした。ここに出てくる最後の士師である、サムエルは、当時のイスラエルには無くてはならない、神の預言者でした。イスラエルの初代国王サウルに油を注ぎ、またそのサウルから王位を外し、ダビデを選び。。。という重要な役割をにないました。この歴史的重要人物、サムエルは、ある一人の女性の苦悩と、祈りの中から生まれたのでした。

★ハンナの試練と行き詰まり

1サムエル1:2-6
2 エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。3 この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピネハスがいた。4 その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。5 しかしハンナには特別の受け分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。6 彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

ハンナは不妊を患っていました。彼女は第一夫人ですから、彼女に子供ができないので2人目の妻をもらったのでしょう。日本でも、昔子供が生まれないと離婚の原因になりましたから、当時、大変彼女は後ろめたい気持ちをもちながら生きていたはずです。
彼女は、夫に愛されていのですが、それがまたベニンナの意地悪の原因となります。
お祭りの時には、子供たちの分もいけにえのわけまえを頭数で渡しますが、エルカナは子供のいない愛するハンナに気を使って、普通よりもたくさん上げました。

★神でなければ満たせない場所

V7-8 7 毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。8 それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

落ち込んで泣いているハンナに対して、夫エルカナは、私はあなたを愛している。私の愛では十分ではないのか?
私たち、試練に合う時に、また心の中に穴が開いているような気がする時、行き詰まる時、人のあたたかさ、愛する者たちの親切は確かに心に響きますし、慰められます。
しかし、ハンナにとっては、それだけでは十分ではありませんでした。孤独を感じていました。夫がどんなに愛してくれても、愛する夫に子供を産むことができない。ということ、また自分の身体が子供を宿すことができないという、女性ならではの苦しみ。自分は欠陥品なのか。。。という思い。呪われているのだろうかという思い。自分のコントロールの範囲を出た苦しみ。誰にも理解されない、という行き詰まりの中にいました。

私たちの心には、神にしか解決できないものがあります。神にしか埋められない場所があり、神にしか慰めることのできない場所があります。

★ハンナの二重の決断と捧げもの

ハンナは、この心の穴を神様に解決していただくために、宮に行きました。これで解決しなければ、と自分の全存在をかけての祈りでした。いわば、神に自分の人生をかけて、今日神に解決していただかなければ、という気持ちで出向いたのでした。

◎注ぎだす

15 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。
感情を注ぎだした 精神的な全てを神の前に出し尽くしていた、自発的な捧げものとして。
私たちの感情は、私たちの願いを中心にして反応している。怒り、苛立ち、悲しみ、喜び、全て願いに結びついている。しかし、ハンナはどうしても願いと喜びの部分の結びつきが薄かった。いくら夫に大切にされても、喜びが無かった。私たちの感情は神様からのメッセンジャーです。

〇注ぎだすこと…
注ぎのささげ物に用いられる表現。精神的なささげ物。イエス様も十字架でご自分を捧げられるときに、心を注ぎだしてゲッセマネで祈られた。そこには、主よ願わくば、この杯を私から取り除いてください、と祈ったほどに、苦しみの祈りでした。ですが、そんな思いも、従いたくない思いも全てを注ぎだして祈りました。ですから、十字架の上で流された血潮に意味があった。イエス様の流された血も、注ぎだされたものであった。精神的な捧げものであった。

旧約聖書では、この注ぎの捧げものは、全焼のいけにえと共に捧げられた。全焼いけにえは、律法で定められた、罪を赦されるために必ず捧げないといけないものでしたが、穀物の捧げもの(仕える)、和解のささげもの(赦された喜びを分かち合う)、注ぎの捧げもの(強い酒やぶどう酒、主を喜ばせる)は、任意でした。自分で捧げたければ、自発的にささげるものでありした。

〇ハンナの祈りは、自分自身を全て神にあけわたして焼くも煮るもお任せしますという態度で、全てを捧げました。そして、自分の心を注ぎだしました。ちょうど、旧約聖書の捧げもののように。。。
今までため込んでいた、発酵したような感情を全てその上に注ぎだしたのです。神は、これを喜ばれたでしょう。精神的な捧げものとなりました。
自分の感情なんて、と皆さん思いませんか。しかし、イエス様のゲッセマネの祈りも、ハンナの祈りもすべての感情を注ぎだしたとき、神は喜んでその祈りをお受け取りになられました。私たちは、感情を注ぎださなければ、神からの良いものを受け取るスペースが心にできません。神様は、それを待っておられるのではないでしょうか。

◎祈りの結果も神様に捧げることに

V10-11 10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。11 そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますならば、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」
ハンナは、自分の人生と全人格、そして精神のすべてをかけて神のところにやってきました。そして、全てを捧げ、祈りの結果も全て神様に捧げることに決めたのです。

★変革の原則

V17-18 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

ハンナは、つらかった過去を清算し、自分の願いを注ぎだし、将来をも神に捧げることができました。
ハンナの顔が変わっていた。。。

主に自分が変えられるときには、必ず、自分のすべてを明け渡さなければならない。そして、神にしか満たしてもらえない場所に神様に満ちていただくとき、あなたは完全に変わる。
人間にはできないことだ。

人が救われるときもそうだ。罪を悔い改める時、神から心の癒しを受け取る時もそうだ。

★祈りの確証を得る

V19-20 翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

希望と確証: へブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
これには、献身がいる。自分自身を祈りの結果ごと捧げる。感情を全て明け渡すこと。

全焼のいけにえのとともに注ぎの捧げものがされたように、まず献身、自分の身を全て過去も未来も捧げます、神様にお任せしますという気持ちが一番。そして、心の全ての願いにまつわる感情を神様に知っていただくこと。ここから、真の希望が出てくる。
希望があるなら、大丈夫、それは、もう与えられたと信じることが信仰だと、へブル書に書いてあります。ハンナは、そのようにしたのです。そして、本当に男の子が与えられ、その子が時代を担う大切な役割をするリーダーとなりました。

★ハンナの名前の意味は、「恵み、好意、お気に入り」ハンナは、夫の好意も受け、その苦しみによって、国を変えるサムエルという神のご計画に預かるという好意にも預かったのです。彼女の苦しみも、神が彼女に意地悪をしたくて与えられたのではなく、その深いご計画の中で、彼女を恵むためでありました。ですから、苦しみさえも恵みだったのです。苦しみの中にいるときは、このようなことは、分かりえませんでした。ただ、全ての事を分かるようにしたのは、祈りです。彼女の真剣な祈りが、すべてをつなげたのです。

あなたは、今苦しみの中にありますか、悩みがありますか、それは、神様があなたを恵まれようとしているサインではないでしょうか。神様に体当たりで、自分を捧げ、心を注ぎだして、お祈りしようではありませんか。神様は、きっとあなたの心を人が満たせないところを満たし、あなたを変え、そして、あなたの人生と周りの人の人生に打ち破りを与えることをしてくださいます。
#1サムエル記 #礼拝 #祈り

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