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新しい皮袋を New Wine Skin

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2014年7月13日日曜日礼拝 音声はyoutube から、http://youtu.be/GHWr5owEYXE

聖書箇所
マルコ2章、3章から

中心聖句

マルコ2:22
また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」And no one puts new wine into old wineskins; or else the new wine bursts the wineskins, the wine is spilled, and the wineskins are ruined. But new wine must be put into new wineskins.”

●皮袋の説明

皆さん、ワインは発酵しますよね。前にも話しましたが、わたしもぶどうの汁でびっくりさせられた経験があります。日本に住んでいるとき、ぶどう畑をしている信徒の方が一升瓶に新鮮なぶどうジュースを入れて持ってきてくださいました。一人暮らしの私の小さな冷蔵庫には、一升瓶は縦にしても横にしても入りませんでした。それで、家にある入れ物に小分けにしていれて冷蔵庫にしまうことにしました。たくさんあったので早く飲みきることができません。そして一本ペットボトルに入ってるものが、しばらく冷蔵庫に残っていました。ある日、暑かったので、そういえば冷たく冷えたぶどうジュースが家にあると思い、わくわくして家に帰り、早速冷蔵庫から取り出して飲もうと思ったんです。きんきんに冷えたボトルを取り出しふたをひねろうとしたその時です、ばーーーんっっと言って、ふたがはじけとび、ふたが天上や窓に当たってまた激しくわたしに帰ってきました。ぶどうジュースはシューシュー泡となって勢い良く吹き出て半分以上なくなってしまいました。初めは何が起こったか分からないでいました。あれ、もしかして、発酵してたのかなと思い飲んで見ると、なんとお酒になっていました。
ぶどうジュースは、発酵するとこのように膨らむんですね。ですから、昔聖書の時代は、よく伸びる新しい皮袋に入れたのです。古い皮はもう伸びないので、このペットボトルのように、少しの衝撃ではじけて破れてしまうのです。マルコ2:18で、ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちが来て「どうしてあなたの弟子たちは、他の人たちがしているように断食しないのか」と聞いたときに、答えたことばです。「どうして、みんなと同じように、古い習慣に従わないのですか」というのが質問の本質です。イエス様とイエス様の弟子たちは、彼らの目には、非常に新しく、非常に型破りに見えたのです。

●新しいワインのようなイエス様・御国の働き

イエス様の福音の働きは、新しいワインのようにどんどん膨らんで広まって行きました。ユダヤ人の当時の文化に新しいコンセプトをもっとチャレンジされました。

文化について。
文化とは、人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。
すなわち、文化とは、人間が作り上げてきた、その民族に染み付いた価値観と生活様式です。
そこに新しいコンセプトをもってイエス様は来られました。イエス様は天の御国のリアリティをもたらしました。御国とは、神の治めておられる場所。神のおられるところ、それが御国です。天には、悲しみも病もなく、痛みもありません。また悪魔・悪霊は住むことができません。愛、喜び、平安が満ちている場所です。イエス様は、この天のリアリティを地にもたらししてくださった。先週話しましたが、誰でも罪を悔い改める人は、このリアリティに入ることができるのです。

●イエス様の福音が新しくもたらしたもの

この二章三章で見るものをあげますが、どの記事も人々は大変驚きをもって受け取っている様子が読み取れます。

①  癒し 2:3-12 四人の友に運ばれた中風の人の癒し
 
v5イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。When Jesus saw their faith, he said to the paralyzed man, “Son, your sins are forgiven.”
ここで、律法学者。すなわち、聖書に精通してる宗教家たちが心の中で、「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」“Why does this fellow talk like that? He’s blaspheming! Who can forgive sins but God alone?”

罪と病気の関係について…病気は、どこから人類に入ったのでしょうか。それは、最初の人アダムとエバからです。彼らは、神様との約束を破り罪を犯しました。善悪の知識の木の実を食べると死ぬようになると言われた通り、彼らの命に死が入りました。死が入ったということは、死に至る病が入ったということです。以来、私たち人類は病と闘いながら生きるようになりました。
イエス様は、罪を赦されました。がそれと同時に、その中風の人は癒されました。

v12すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。He got up, took his mat and walked out in full view of them all. This amazed everyone and they praised God, saying, “We have never seen anything like this!”
そうです、人類、かつて見たことがないことがイエス様によって地上にもたらされたのです。私たちもこれを信じますか? 私たちは、もうこのリアリティに移されているのです。

②  安息日と礼拝 2:23-28-3:4

  安息日に弟子たちが麦の穂を摘んだ。また、イエス様が安息日に人を癒したことで、宗教家パリサイ人たちに責められます。当時も今も、ユダやの世界では安息日は非常に大切にされています。安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ。という十戒がありますが、この目的は、すべての手の業、自分のための働きをやめて、神様を覚えて一日を過ごす、すなわち礼拝のために業をしないということでした。しかし、その意味がだんだん失われて来て、仕事をしないことが目的のようになってしまい、その律法に神様の心が失われてしまっていたのです。

イエス様は、ここで形骸化した安息日に対するチャレンジをもたらしました。。安息日の本質をもたらした。究極的には、生き様を通しての礼拝が私たちの使命となることを示された。人を癒すことは神の御心です。神に従うことは、神への礼拝です。また、食べるものがなくてひもじい時に、何もしないでひもじいままでいることは、神様の望んでいることではありせん。イエス様は、v27また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。Then he said to them, “The Sabbath was made for man, not man for the Sabbath. 人間のための安息日です、人間の健康のたにあるべきです。

③  悪霊追い出し 3:15, 3:20-30 

イエス様は、悪霊を追い出す力を与えるために特に12弟子を近くにおいて訓練されました。というのも、悪霊が縛っている状況が神の御国の支配の外ではあったということです。そして、イエス様とその弟子には、悪霊を追い出す権威があったということです。人々の目には、あまりにも新しいので、「イエス様が気が狂っている」という人もいれば、「悪霊の力でやっているのだ」という人たちもいました。人々の考え方に、悪霊の力から解放されるというコンセプトが無かったからです。というのも、アダムとエバが、その権威をサタンに聞き従うことによって譲渡してしまったからです。それ以来、サタンがこの世の君として君臨していました。ですから、悪霊を追い出せるということ自体新鮮なことだったのです。
今、私たちにその働きが委ねられています。私たちも、神の御国を運ぶ者たちです。

バスターダッグとお友達の証し…サイキックのお店に入った。すると、その場で霊能をしている人が急に何も見えなくなった。

④ 神の家族のコンセプト 3:31-34

私が一番クリスチャンになって感動したことは、洗礼を受け教会という神の家族に加わって、本当に、信者同志が愛おしく、兄弟姉妹という気持ちでいっぱいになりました。自分の家族よりも何か深いつながりを感じたものです。また海外にいってクリスチャンの人に会うと、抱き合って喜びたいほどの喜びと何とも言えない、親近感をもったものでした。これは、神の子となってみないと分からないことです。v35に、違う言葉で言うならば、誰もが父なる神の子の身分を持つ取り戻すことができるということです。御国におけるSonship をイエス様は、この地にもたらしました。そして、ご自身の十字架の業によってそれを可能とされました。当時、ここにあなたの母、兄弟がいると言われてのイエス様の応答に人々は、は? とびっくりしたと思いますが、イエス様は、御国のコンセプトをもたらされたのです。誰でも、罪を悔い改め、キリストを信じるなら、神の子とされる。御国の王子、王女として養子縁組されるということです。

さて、私たちのマインドは、チャレンジされましたか。

もしかしたら、この中のいくつかが受け取りにくいという方がおられるかもしれません。新しい皮袋を求めましょう。御国は、ここに来ています。イエス様は、ここにおられます。受け入れることができるように。古い自分を神様に明け渡していきましょう。


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Smithe16
Smithe16さんからコメント
投稿日 2014-07-17 14:47

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bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2014-07-18 02:47

Hi, Smithe16,
Thanks for your comment. I am so encouraged. I am glad that I obey God on this. Some people led to repentance, some are encouraged through this blog. As long as there is people like them, it worth posting.  I do not do newsletters. I write every once a while to a few churches in Japan. Thank you for asking. You can connect with me through facebook as well. Most of our activities are on facebook to share. Bless you and have a great day ;)

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