先日東京から帰ってきた孫、ひ孫といっしょに「おおきいおばあちゃん」を訪ねて来ました。 春の陽気に誘われて施設に行く様子を送ります。こんなことも思い出の一つです。いつも見守りと、お世話をありがとうございます。
飲み会などの席で、 必ず1人はいる「私少食なんで、もう食べれません~」って言う馬鹿女! 会費制の時は、あらかじめ、料理のプランなど決められているので、 百歩譲って許します。 しかし、席に着いてから注文する場合、様子みながら追加していけばいいのに、こういう馬鹿女にかぎって[気が利く女、できる女]アピールをしたがり、次々とオーダーしていきます。 あげくの果て、ちょっと食べただけで、「お腹いっぱい~。○○くん食べてくれる?」と、気に入っている男子に甘える。 しかし、男の人にも腹の限界があるため、結局残すんだよ。 残す原因を作った、馬鹿女がムカつく。 豚だって、牛だって、捨てられるために生まれたんじゃないし、野菜だって生産者が汗水流して作ったものなのに許せない! みなさんにお尋ねしたいのですが。少食女はかわいいと思いますか? ■こんな光景がホントにあるかどうか知りませんが、面白いことを書く人がいるものだな・・・と。
「10の雑草リスクに備えよ」、緑地雑草科学研究所・理事に聞く 友人はシルバー人材センターでの仕事も大変で、家に帰ると「バタン、キュー」と倒れ込むように眠ってしまうそうです。 それでも頑張る友人の姿を見ていると、自分ももっと努力しなければと思わされます。 友人の話を聞くたびに、歴史と共に生きる植物たちの物語にも心が惹かれます。 これからも友人の健康を祈りつつ、鉄道草と共に歩む日々を応援したいと思います。
ところで、線路脇の草には「鉄道草」という名前が付いているとのこと。これは秋の季語でもあり、日本に早期に移入された帰化植物です。日当たりを好むこの植物は、鉄道が敷かれることで開けた環境に適応し、広がっていきました。 「鉄道草」とはヒメムカシヨモギのことで、北アメリカ原産です。 ■明治初頭に日本へ移入され、鉄道網の拡張と共に全国へ広まりました。 「明治草」や「御一新草」とも呼ばれることがあります。 この植物は線路の周りにどんどん繁殖し、その存在は鉄道の歴史を感じさせます。
友人は、鉄道の路線敷14キロの草刈りという仕事をしています。 さらに、海水浴場の駐車場係も担当しており、朝6時から11時、または11時から3時のシフトで働いています。 年齢を重ねた体にムチ打って、一生懸命働いている姿に頭が下がります。 そんな友人を見ていると、自給自足と年金でなんとかやりくりできている自分が恵まれていると感じます。 先祖から受け継いだ農地も、重荷に思うこともありましたが、今では生きるための大切な資源となっています。
この植物は早い時期に日本へ移入された帰化植物で、日当たりを好みます。 田畑や山を切り開いて鉄道が敷かれると、周辺にほかの植物が生い茂るなかで線路の周りだけ開け、この植物にとって居心地のよい環境になります。 そこから、『鉄道に沿って生える見慣れない草』ということで、明治の人が『鉄道草』と呼んだのでしょう(天野学芸員) ■明治時代に開業し、全国に敷設されていった鉄道は、当時の人々にとって近代化を象徴するめずらしい草だったかも・・・・・歴史を感じます。
ヒメムカシヨモギはもともと北アメリカ原産。 明治初頭に日本へ移入され、その後、鉄道網が延びていくとともに全国へ広まったとされます。 「明治草」「御一新草」との呼び名もあるようです 線路の周りにどんどん繁殖していきます。 ■シルバー人材センターの仕事も大変。家に帰って「バタン、キュー」だそうです。