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現代詩の小箱 北野丘ワールド

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虹をつかむ方向に  長谷川龍生

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 北野丘さんが、私のところに出入りしはじめたのは、よくその時期がわからない。誰のさそいで訪れてきたのか、記憶はぼんやりとしている。私の年令とは、親子ほどちがっていて、私の末の娘と、同じくらいの年令であろう。日本一、自殺者数の多い秋田県生まれであるから、その一点だけは注視して、人柄、人格、性質を探っていた。だいたい私のところに出入りするぐらいだから、平凡な家庭の出自ではない。極めて異常であるだろう。のっけから、小才の利いた詩作品を持ちこんできて、私の目に止まりはじめた。実驗的であるから、野心がみなぎっている。暗い一筋の怨気があって、幼い時期から苦労しているわりには、世間知らずであった。世間知らずであるから、生き抜いてこられた要素を持っておる。そこが、文学を勉強していく出発点であるだろう。現在はどのように成長し、成熟したか、私の方が老い呆けてきたから、よくわからない。よくわからないが、ときどきノートを前にして、その書き込みから、難しいことを言うので、精勵の実績を踏みこんでいるにちがいない。そのように思っている。そう言えば、北野丘さんは、ひととき教育関係の図書館に勤めていたことがある。その場所で、体当りをしていたのだ。

 一九七〇年ごろ、R・カイヨワの「遊びと人間」(清水幾太郎・霧生和夫共訳)の一部に、私は注目したことがある。「遊びを支配する基本的態度─競争、運、模擬、眩暈─は、単独で姿を現すとは限らない」と述べている。よって六通りの組合わせが考えられる。

競争=運(アゴーン=アレア)
競争=模擬(アゴーン=ミミクリー)
競争=眩暈(アゴーン=イリンクス)
運=模擬(アレア=ミミクリー)
運=眩暈(アレア=イリンクス)
模擬=眩暈(ミミクリー=イリンクス)

 北野丘さんに、競争(アゴーン)は在るか。競争心は少うしばかり在るかもしれないが、競争をしたならば敗れる可能性の方が多く、競争は困難になり負擔になるだろう。
 運(アレア)は在るか。開放されている意識を持ちつつあるから、小運はあるだろう。大運はめぐってはこない。
 模擬(ミミクリー)はどうだろうか。充分にそなえている。生活自体が模擬そのものであるから、詩作で遊ぶことができる。言葉遊び。言葉遊ばれ。
 眩暈(イリンクス)はどうであろうか。これは体質的にプラスの方向に向いている。眩暈(イリンクス)とは、目がくらんで、頭がふらふらする感じ、目まいを指す。酒は飲む、すぐに酔う。喋りまくる。
 よって、北野丘さんは、模擬(ミミクリー)=眩暈(イリンクス)の組合せが最高のものとなっている。

 北野丘さんは、私のところに月一回、出入りしていて、黙々として、珈琲をたててくれている。私は、その珈琲のたて方の手もとを凝っと眺めていて、いつも眩暈(イリンクス)に、彼女がおそわれるのではないかと、あやぶむ。しかし、着実に、彼女はこなしていく。何のさしさわりもない。さし出された一杯の珈琲は、おいしい。

 北野丘さんが詩作品をまとめて、一冊の詩集を出したいと、ある日ある時、申し出てきた。いいでしょうと、私は即座にこたえた。
 北野丘さんの詩の方向は遊びがあって、おもしろい形象化に向いている方がいいのではないかと思ったりする。真面目(まじめ)はだめだ。真面目(まじめ)は挫折する可能性が強い。真面目競争には敗れる。詩の内容が深くなれば深くなるほどに、形象は、軽く、さわやかに、おもしろくする技法に長(た)けなければならない。北野丘さんのこれからの人生もそうでなければならない。ねばりと、したたかさを身につけて、それがおもしろいという自己実現を生み出さなければならない。そのような生き方をして欲しいとねがう。

 模擬(ミミクリー)と眩暈(イリンクス)の運命をになっているのであるから、仮面と仮想を徹底化して、その内部から、手に汗をにぎるようなリアリティをつかみ出して、一篇の詩を打ち出して欲しいように思うが、どうであろうか。詩と同時に、エッセイをも書いてもらいたい。真面目なものはどうしても駄目、それらのものは、学究者に任せておきなさい。金銭と時間をもてあましている人間にゆだねた方がよろしい。

 とにかく、おめでとう。一冊の詩集を出したならば、すぐに、そんなものは忘れて、第二詩集、次の段階のシナリオにとりかかる必要がある。人生は連続性です。表社会で不可能ならば、裏社会で、根を張って、見聞を広め、世情の行き先をみつめること。これが私の心の花束である。
#長谷川龍生栞

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『黒筒の熊五郎』について

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 2008年に出版した処女詩集である。詩集の自費出版はまともに有名出版社から出すと100万円以上もする。若いころから仕事が定着せず、職を転々としてきた私には蓄えというものがほんの少ししかなかった。現在は終刊してしまったが『現代詩図鑑』というアンソロジーをだしていたダニエル社からソフトカバーで有名出版社の半額の予算で出版した。この詩集の詩篇は30代半ばごろに、精神的に病んでいて、外との関係をまったくもてなかった孤独な時代に書いたものが前半にあり、のちに長谷川龍生詩塾に通っていた頃が後半をしめる。それから、大学時代の同人誌『渋谷文学』に載せた「ゆずへ」「冷たいスリッパ」「フーコーの振り子が青ざめてとまった」の3篇を気に入っていたので載せた。
 それでたいていは20篇ぐらいでテーマにそって編まれるのだが、次に詩集が出版できるか怪しいので、28篇詰め込みテーマもなく詩集としてはまとまりを欠いている。しかし、他の詩集にはない独自性があるとの批評をいただいている。
 大学を出てから詩は書いていなかった。それが30代半ばごろにイメージや奇妙な夢に襲われて、それがいったい何なのかわからず苦しんでいた。そんなある日書店で婦人公論に井坂洋子の名前を見つけた。大学時代に井坂洋子の詩集買ったよなと思い懐かしさに手に取ってみると現代詩投稿の選者をしていた。久しぶりに詩を読んだが、どれも詩になってないように思えた。これなら自分も書けるんじゃないかと思った。今のこの苦しいイメージの氾濫を収める方法をたった一つ知っているじゃないか。そして、15年ぶりに詩を書いてみた。それが「森の子」だった。婦人公論に投稿しようと思っていたが、次号をみると現代詩の投稿欄は終了していた。
 宙に浮いた作品を持ってどうしようと思っていた私は「ユリイカ」の前に立った。それを手にするのも大学時代以来だった。選者は入沢康夫さんだった。「詩は表現ではない」という言葉に啓蒙された尊敬する詩人だった。わたしは震えた。入沢康夫さんに読んでもらえるかもしれない。それだけでいいと思った。私の書いたものは詩に値するのか、それが知りたかった。そうして「ユリイカ」に投稿した「森の子」は佳作でタイトルと名前がのった。詩に値したことが嬉しかった。
 それから次に「黒筒の熊五郎」を投稿した。これが入選して掲載されたである。文字のポイントがゴシックで20ポイントぐらいに感じられた。それからユリイカへの投稿時代が一年続く。あと入選したのは「熊笹の女」だけだったが、毎号買うたびにどきどきして「ユリイカ」への投稿は仕事も家事もできず読書しかすることができなかった時代の唯一の夢だった。 
 やがて入沢康夫さんの選も終わってしまい、私の詩作も一段落してぽかんとしてしまった。そして現代詩手帖の告知欄にユリイカ新人賞をとった松原牧子さんが朗読会を開くというのを見つけ神楽坂へ出かけて行った。たった一人で詩を書いていた自分が100%詩人の中へと出かけて行った。そして松原さんの紹介で長谷川龍生の詩塾へと通うことになったのである。詩を介して久しぶりに味わう外の世界だった。
#黒筒の熊五郎

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風の双曲線

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花むぐりが
黄色の粉に埋まってゆく
木枠の硝子が強く鳴っている

納屋でさがし物
がらくた
たからもの

蜘蛛がのそり                                  
とびのいて
こんにちわ

窓の下にリンゴ箱
となりは石炭箱
ああ風がはやい
光さしてはすぐ翳る
ほら光
                                        
上昇気流にトンビが乗ってゆく
ピーヒョロロロロウ

決意した逃亡みたい
古いしょるいが
飛ぶ
いけない
つぎつぎに
しかられる

みんな空に吸われていく
帰っていったの
もじが鳥や雲にまたもどって

スカート 襟 髪の毛
そこぬけバケツ
みんなひっくりかえる
#黒筒の熊五郎

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フーコーの振り子が青ざめてとまった

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ひと夏の背なかを
夜の指さきがなぞり
わたしの心臓を
座標の軸に
えがいた軌跡を存在というのなら

血液を一垂らしして
瞳がひらく

時を費やし
熟れた実をたべあるいた
内部の充実を
わたしのものとして
それでは何に
捧げたらよいだろう

氷のかけらが
膝のうえに落ちて
フーコーの振子が青ざめてとまった
#黒筒の熊五郎

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冷たいスリッパ

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どこを眠っていたのだろう
きのうの混沌が
透明な袋におさまっている

失礼
小用

赤いビニールのスリッパ
素足の熱
どうしてもすごせないと思った夜を
とおりぬけてしまった
(なにしよう)
紐をひっぱるとじぶんが戻ってくる
欠伸をする 目尻がぬれる
しろっぽけた光のなかで
瞳がとまる 胸が鳴る

自律している優等生の生真面目に拍手
よどみない心 用意されて
一日分 きめられた熱量
それも レバーのような堆積に交替したら
またわたしは発光しだすのだろう
なくなりかける不安に
せめて実のあるかたちにしてしまいたいと
夜を光りだす

できれば もうすこし
うつくしい排泄をしてみたいものです
#黒筒の熊五郎

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ゆずへ

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   内緒よ
   ゆず

よるに
うごくものいる
ゆず 眠ってる 知らないうちに
こっそり新月と密約かわすものがいる

かあさんいたい
乳首いたい
にゅうがんかもにゅうがんかもしれないよ
かあさん

ゆず
遊んでおいで
手まり ごむ段 石けり   
まっくろになって
しろつめ草の影に淋しくなるまで
外はおまえのすべてだし
探検に夢中になって
雪をふみふみ福寿草みつけ
植物図鑑めくりながらおいで
ゆず もっと健康に
男の子とけんかして泣きながらおいで

そのうち
しんがつめたくなるプレゼント
あげる
#黒筒の熊五郎

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氷河のなみだ

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こどもよ
なんにでもいそがしいままが
じぶんのままが
いつかしんじつのやさしいままとなって
どあをあけてあらわれるのを
まって
ついにこなかった こどもよ

いっしょう
むかえにはこない
りっぱになれば
きっとと
なんぜんかいかのくうそうに
つつまれとけゆく
しろいくりいむ

いっしょうを
こどもよ
どこで
ひとりがきらい
でもひとりがすき
あそびたりないこどもよ
みんながどうしてかえれるのか
ふしぎにおもうこどもよ
ひとのみちなかでひがくれる
あかりがともるどこまでもつづくいっぽんの
みちが ぼうっとうかび
てくてくあるく

そらなんて ああ とびたくもない
こうもりのはねでとんでおもう
なんで もぐりなさいといわれるのか
うみのそこで しにたくてもしねないと
ろうばにいわれる

いともたやすくくちふたがれるこども
みずにつけられるこども
いきてるにんげんがおにさんなのだと
しっててあいするこども
だんぼうるにすてられる
こどもよ
いきてるのがきせきのようだ
だがかんたんなからくり
しなないものだけいきている

まま
ままか
ままにあいたいか

 (きこえた? ナギ)
 (きいたぜナミ)
 (すてきね)
 (でばんだぜナミ
  ゆるす
  ゆるすだ それだ)

くちびるむすんで
ぽつんとたちつくす
まま

ままにあいたいか
けれど
こども
あのよに                                    
ままをさがすな
ねからしみでるそのみずはのむな
うつくしければ
うつくしいほど
しびれてたおれるなるきっそすの
あおいはなだ

もえあがるひょうがのこころ
はげしいさけめを
かたまりとなり
うごきだせ
きょくほくの氷河のなかの
ひとつぶよ
#黒筒の熊五郎

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ひと夜ひと夜に  第三夜

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雪。雪のぼんぼり。
雪。ゆっくり。とおくは速く。
雪。ねえ、みて。
  みあげると、ほら、どこまでもいくよ。
  粒子のなかを、どこまでもいくよ。
  ふふ。
  ふふふ。
雪。輪郭ふたつ。
雪。つもる朝までは。
#黒筒の熊五郎

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夢の近傍

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わたしの単眼で
あなたは夢みる
あなたはわたしの夢みる
凪の小舟で荒岩を
くるりめぐる
夢の御覧
キラキラとほほ照る
銀紙
うろこ波
虚空に映えて
その向こうでレンズが調節されて
小舟からみえるあたりだけ
閉じられた密な無音ばかり

わたしの像力は
突如やさしく慎重に
あなたを襲う

あなたが新しい休息の時に至り
わたしの像力が夢みた庭
武蔵野の面影を残す疎林につづく庭のある一間で
何もなく なにもかもないことを笑って
湯を沸かし木碗に注ぎ
盆にのせ
ひなたに置いた
たちのぼり碗の縁で渦巻き水面撫でまた消えのぼる
けしておなじあらわれのない渦の
湯気と影の形式を飽かず眺めた

そのことが
どれほどわたしを惑乱させたか
御覧

水平線に一頭の騎馬兵があらわれ
渦巻く一陣の流体となって
いまあなたを貫通し
逆髪
荒岩を襲い
吸われて消える

すいとひと押し
押され
のんだ息をほっとつげば
頸動脈から音が始まる

気づくとき
あなたは髪のひと振れほど遅れる
瞬間のさきが膨大なつづきだから
その誤差が
わたしの位相
はるかな砂の沈黙の音が耳を埋めてゆく                 
なつかしく見しらぬ断面に
あなたは開示する
風も帆もなく
鼓動ばかりで
#黒筒の熊五郎

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夕暮れまで そうして

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夕暮れまで そうして
二階の硝子窓は ひらかれたまま

青空の瞳は
HBのトンボの羽に 濃く染みて
数式の真上を ついてくる
幻術みたいに さざ波の光と影で 辿る解

浜の右辺の流木に
象嵌の羽はとまり
よみがえりの信仰を胸に
鉛筆は目を閉じ 木の柩に横たわる

いいかげんに髪を
結びも 切りもしないで

夕暮れまで そうして
石を積んだり ハスの実を置いたり
傍らに黒い牛を牽き
群青のなか あなたとみつめあう

ことり
彼は青い瞳のままナイフを置いた
瞬きも しないで

だから
石の上で わたしは
金青の光りを握って血を流した
#黒筒の熊五郎

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揺れる赤いN

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ばら色に割れた
アンデスの少女の額が
氷の塔をつきやぶり
銀のスプーンの先端で仰むく
千年のぬれた喉
りんごん

ムラサキの口火の肌に
ほっと憩う
薄羽のつけ根の振動
おりてくるものに逢うための
階段だけの開放塔
硝子質のストローは切断面から炎えあがる

焼失した学名の菌床で
毛深い女神の樹液色の爪がのびて
百年の寝返りをうつ
号泣する節穴を
ふたたび女神の乳房がのしかかる

羨道のぬかるみで逸失した
管理人に座る盗掘者
鳩笛がぽぽうと嘴からこなごなに鳴けば
揺れる赤いN
空中静止する熊ン蜂の
憤怒の喜びの踊りがうなりだす

あらゆる運動が待機する
気象の前兆
曇天からふりそそぐ虹彩のこおろ
放射しつづける熱量の意匠



水平線から
腰にさしこまれ
やむまで腕に折れている
#黒筒の熊五郎

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ぽんぽんダリヤ

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中野ブロードウェーという
脳天気なアーケード街を歩いてゆくと
ころんとした小振りの玉ネギが後をついてきた
振り返ると
むこうもはっとして立ちどまった
いや、玉ネギは歩いても立っているのでもなかったが
じっとみつめると前球面に影をつくった
また歩きだすと玉ネギは
ぱっと光ってついてくるようだった

なんだか
いもうとに似ている
遊ぶのに足手まといで
いじめられるのが
心配で
わたしより
可愛がられているくせに
わたしがいないと淋しくて眠れない
オネショにまみれ
泣いて
なんでもわたしを真似て
石油タンクに昇った梯子で
未知のきょうふにまっしろになって
落ちた
わたしの名を たぶん 手の虚空に呼んで

 ……ちゃあああん……

   走れば泣く
    とおい
      うしろ
    ぽんぽんダリヤ

すっと
路地に身を隠す玉ネギ
ああ、もうそこはいいんだ
悩みの季節に通った
喫茶店スヴェニールは
ふらんすの想い出というらしいから
行こう
いや、まて玉ネギ
おまえは、生まれる前の
あいつがいない前の
じぶんなのか

忽然と
なんだろう
はく息がまっしろな
あいつの生誕した きらきらした雪の朝だ
耳にほぐれる土の匂いで笑って
わたしを追い越していく
あまく鮮烈な球体
身もあらわに
うすみどりの縞のつやつやで
#黒筒の熊五郎

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閑静な住宅街の禁足地 切り株

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消防署が近いので、すみません家の犬がうる
さくてと向かいの奥さんに声かけられた。い
えいえそんな、アパートに住む奥さんは答え
た。火事ですか救急ですか。近づいてくると
高くなる狼の音域。人は逃げ、犬は目覚めよ。
おおおんと真似ると夫が笑うので、さらにオ
クターブをあげ玄関をでて犬と合唱する。

違法駐輪自転車の一時保管場所になっている
隣の空地は高いフェンスに囲まれている。草
刈りに来た人によれば、役所が借り上げて管
理しているんですわ、地主さんが使うとなれ
ばあれですけど、らしい。春先の雨でスギナ、
ドクダミの繁茂、アパートの影が短くなれば
ヒメジョオン。昼顔。へびいちごの赤い実。
やがて蔓がびっしり。

草が刈られてカラッポになった。そうしろと
いう形にしか思えない眼前の網。だしてくれ
え、こうだな。俺は何もやってないんだあ。
これ奥さんと夫の声、声がする。俺をだせ。
振動が手を離さない、止まらない。背後から
夫の熱い掌が奥さんの両腕を掴んだ。今夜は
無風。

  遠い彼方で
  湯のように黴の匂いがゆらいだ
  ごっそりと みずからを引き千切り
  ほろほろと赤土を零し
  岩盤に喰らいつき
  蛸となり
  青く燃えながら光る断面が直進していた

ちょっと眉をしかめ、寝息をたて始めた奥さ
んを覗き込み、こいつは寝顔が一番いいなと
思う夫が読書灯を消した。

  アパートのドアをがさり
  箒がさするような音がする
  奥さん…
  いま、はーい。いま何時なの
  うつつに思うと
  奥さんの口が「夜中の三時」といった
  武蔵野の面影と
  名告る切り株が
  隣の奥さん…
  「あなたは何の面影」と聞いてきた

玄関がばんと開き、薄い強力な水膜が進入し、
くるぶしが包囲された。昏い男が台所に現れ
る。皆さがって、彼女は叫んだがのろい再生
音のようにしか口が動かない。実際、逃げる
者はいない。何か飛び、壁に突き刺さった。
銀に光る刃が美しいと彼女は思った。

的確な放擲と感心する彼女の右腕の際に、斧
が光っていた。遅れて到着した戦慄に反転し
斧をぬきとり、渾身こめて台所の窓に放り投
げた。泉の水面のように斧はすりぬけ無音
のまま落ちてゆく。閑静な住宅地、赤い屋根、
その玄関先に光が突き刺さった。

昏い男はまだ眼の前にいた。逃れられない。
切迫が口を衝き、わたしと一緒に、と男の腕
を掴んだ。腕からかなしみが全身にながれ
、わたしの身体に男が入り込み、放電の衝撃の
うちに消えた。

奥さんは右腕をあげていた。ベットから起き
上がると腰から下が切り株だった。寝室から
外までの扉という扉が開いていた。

 「MYおっとはどこですか」
  トイレの好きな夫は
 「といれっと」と答えた
 「隣のフェンス消えてるよ」
 「ほう、鳥さん日記もこれまでですか」

奥さんはゆく。玄関をごそっと這い出し、杭
に張られた低いロープをよいしょ、とまたぐ
とき、切り株の下半身が乱暴に笑った。

小鳥たちの楽園を楽しんでいた武蔵野の老木
はいい香りを放っていた。やがて根こぎにさ
れる生きてる断面を奥さんはなでた。色とり
どりの重機類が集結し言い残すことばをじっ
と待っていた。

切り株に、奥さんは素足で立ち、両腕を水平
にしてくるくる回った。そうして、右上から
左下、左上から、白昼をひらいた。 
#黒筒の熊五郎

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閑静な住宅街の禁足地  鳥さん

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 鳥さんがみたい
 隣の空き地に
 鳥さんが来るから買って


コドモ化するとパパ化してくれる夫がペンタ
ックス8×21の双眼鏡を私の首にぶらさげ
てくれたその朝。

首にペンタックスをかけたまま朝食をとり茶
碗を洗い米を研ぎダイニングキッチンで仁王
立ちすると、夫はすたすたと奥から現れフラ
ッシュを焚いてくれた。

後は任せた。夫が無言で手を挙げ前方注視の
横顔のまま自転車が泳げば首からペンタック
スの妻は回れ右をしサンダル歩行でもどる。

と、高いフェンス沿いの通路でばったり三毛
猫とでくわした。おまえは前の世のミーちゃ
んか、妾になんのと因縁の睨みあいの続きを
する現世。

ふふふ妾にはいまひとつ強力な眼があるのだ、
まて、こらまて…。鴉が四度鳴き、遠くに同
数の呼応を聞いた。

 放置されたままの
 鳥たちの小楽園
 高いフェンスに 施錠された扉
 夕暮れには 迷い猫

アパートの窓から網戸とフェンス、二重の網
を透過するレンズを向けると、なにかおかし
い。眼鏡に双眼鏡はおかしい。乙女のように
眼鏡をはずすと、白昼何をしとるかと夫の声
が追ってきた。

任された全営為にペンタックスが加えられた
からにはイエッサー。穴ふたつとは名言なり
座右の銘なり。裸眼にくっきり丸ひとつの輪
郭イエッサー。

いざとなったら玉。玉をだせと繰り返す妄想
生活を玉梓が怨霊よ、脱却せよとの夫の願い
をペンタックスよ。見ヨ。強力ニ見ヨ! 見
たというまでペンタックス、鳥さんを呼べ!

ドアポストにゴソリと音がして、突如、不審
な監視者のように狼狽したが、ドミノピザと
は一切関係ないのでほっとした。ばかやろう
鳥さんが驚いて来ないじゃないか。出し抜け
に今カラデモ遅クナイと拡声器がひびく。

 …ヲ捨テ本隊ニ帰リナサイ
 帰ってます
 お家はここだとパパがいった
 敵がいるの? ミーちゃんかな
 フェンスの中に 敵がいるの?
 …ニ告グ、…ニ告グ…。

おかえりと言うと、夫が帰ってきてくれたの
で、今からでも遅くないの帰れソレントがわ
たしを包囲してわたしは逃げられなくなった
のと妻はいった。それで鳥さんはきたのかい
と夫が聞くので、ああ、鳥さん! そう鳥さ
んが、このフェンスの中にぱらいそ!

ぱらいそ…? 降り立っては飛び立つ鳥さん
がいるんだね。

眠ると妻が言うと、布団をかけてくれる夫が、
待っていたのにどこかで敵が現れて、その敵
をなんとかしないと鳥さんに戻れないんだね
というと、妻は嬉しそうにこっくりした。
#黒筒の熊五郎

ワオ!と言っているユーザー

ゴンドラ巡礼

スレッド
首がもどるところでしたか
逆様ですよ
願掛け地蔵さま
一緒に
どうです
夜のお散歩は
逆様で首ふる地蔵を背にする
白鷺二丁目
ふいに地蔵のもと石がいう
(ものいわぬこどものゆかわたな)

  止めてください
  男が残した鞄が危険です
  バスの運転手はハンドルを切る
  また山中だ いちめん茶色の地肌 窓の下は崖
  道路が見えない 巨大なすり鉢 見あげる
  そのむこうも山また山

降りる
白鷺二丁目でわたしは降りる
酔っても朦朧としてもなにがなんでも
終点だけ電光させて
窓に手をついたまま呆然とゆくだけのこんなバス
鞄など怖くはない 前触れにすぎない
「そんなことが ここで できるわけがない」
あの運転手
そういった
白鳥をどこまでも追うひとよ
天湯河桁(あめのゆかわたな)
胸先にまで髭がのびても
ものいわぬこどもが
あぎといったその白鳥
(わたしは追って)きたとでも

速度を緩めずに車が
大通りを一本入った三叉路を侵入していく
「どっちでも好きにさらせ」
すすけた祠に埃が舞った
「ワンカップ飲んでくだまかないでください
 つげの木地蔵さん」
とろんとすり減った目の輪郭がみるみる戻り
横のつげの木がいう
「おまえ変な駕籠に乗っとる」
「えっ」

  むきだしの断層 青銅いろの急流
  岩盤の台地 わずか ゆれる草                        
  切れるまで 延びている道                          
  眼下
  それら一瞬

「しかもまっ白…ウウム
 ゴンドラ巡礼!」

目の前を扉がしまる
誰か誰か
ゴンドラからわたしは電話する
野太い女の声の交換手が番号を復唱する
なんでこんな旧式なことが
観光地にメルヘンにあるようなゴンドラ
見せかけだけにきまっている
はやく誰か
ゴンドラは気がすむまでというように動かない

  嵌め込み窓ふたつ
  変容のお舟
  やがて光さしこみ
  白鷺たちの渓谷を
  ゆられてゆく

この追分
どちらをゆこうと

*天湯河桁(あめのゆかわたな)…日本書紀にのっている古代豪族。垂仁天皇の皇子誉津別皇子(ほむつわけのみこ)が髭が生えても物いわず、白鳥を見て「これは何だ」と片言を発したので、命を受けて出雲まで白鳥を捕まえに行った人物。

#黒筒の熊五郎

ワオ!と言っているユーザー

簀巻き奥さん

スレッド
あなた
巻いてください
奥さんは
まっ裸でむしろの上に横たわり
ごろりごろり
鉄火巻きの要領で巻かれる

どうぞ
足をかけられ
粗縄できつく縛りあげられ
荒巻鮭の質感がする奥さんは
抱き起こされる

L字型の金具を
奥さんは脇腹に刺してもらい
買い物バックをすくってひっかけた
あなた買い物に行ってきます
ぺこり

自転車には乗れないので徒歩でゆく
沈められる前にあなたの好きな
のりたま補充しておきます
わたしが原因で原因の元はあなたで
あなたの元の素はわたし

電話ボックスに全力でダッシュし
よちよち駆け込み
L字の先でプッシュする
あなた わたしたちは編み上げ靴のひもなの!
あ 牛乳
きれてませんでしたか

あ こんにちわ
あの 犬 苦手なんです すいません
ぺこり

軸をふりふり奥さんの
歩く跡には
わらがほとりと落ちている
#黒筒の熊五郎

ワオ!と言っているユーザー

熊笹の女

スレッド
よいしょこらしょ
ほっほっほっときて
ピィィィィィィィィィィ
人には熊もあいたくないの
ときた七曲り
つとひらいた扇には
群来なつかしのォ 銀の海
ときたもんだ

ピィィィィィィィィィィィィィィィィ

なんで吹くのか忘れるほどに心地よさが浸るころ
がさがさっと
しげみが揺れる
喉ひっとしてかたまると
ゆるい女の歌声がするという

駆け降りる者の後ろに立っている
熊の縄張りで
しび しび 歌っているという

たつたつと魚の血が落ちているらしいとも
頭にはつむじがみっつ うねる漆黒
髪の毛ながくてながくてながくて
はあ
笹にからまって でてこれないのさ
そこはニヤッと笑って言うことになっている
       *                           

女が熊の縄張り にですか
採れたもの 交換してたって話だな
あのあたりは昔
畑があったらしいんだな
畑を守ってるんじゃあないですか
はあ 笹だらけの波だらけ
ざわざわっとくれば
凍(しば)れる景色というもんだ
   
やっと
   きたの

しびしび
と歌うしびはマグロのことですか
ここまで回遊してたって話は
定かでないのさ
とれた話は聞かないし
土地ではね鮭だともいうな

   手籠に熊笹を敷き
   やわらかい腹の 頭のない魚(うお)をいれ

したけども
このうんと先に鮪の岬ってあるのさ
岩が柱になってでさ もりもり盛り上がってでね
こんもり桜の林でさ 夏はおめぇ、エゾユリ咲いてね
海にほそ長くてさ 海みどり色に深くてさ
なんの魚だかなんでも 魚の形してるってんで
しび なんだよ
しび なんですか

   岬に
   女は現れた

なんでも その岬の主は大蛸で
怒って暴れて 海は大時化
船かっぱがえって 漁師が死ぬ
鰊はとれない 蛸の祟りだって困り果ててね

   遠いところ
   いってた
   ここから一番遠いところ いかなくちゃと

したけどある時
岬の主が江差の鴎島に嫁にいって
それから海は凪いだっていうことだ
鴎に蛸ですか
はあ 鴎の啼く音に
ふと目をさまし
あれが 蝦夷地の山かいな
ときたもんだ

       *                           

遠いところ いってた
いかなくちゃと 思って
女がいうと
斜面に眠る シベリヤ帰りの男は
顔に 季節はずれの花を配したまま

   北の北の北の
   夏は短い

うっとりと謡いながら 半身を起こし
舟形に瞑った ふた筋をひらくと
細紐が首からするりとほどけ 鎌首をもちあげる
女はひんやりとする 胴の鱗をつかみ
ちろちろと赤い舌を飾りに
おかっぱの黒髪を結った

   ドスビダーニャ ドスビダーニャ
   安心の家郷

半身の男を女は抱き
潮見の丘へ階をのぼる
なにかの用に打たれた
円形のコンクリートに額づき
半身の男を横たえ
頭のない魚を添えた
海鳥のふん白く
コンクリートはあったまっていた

       *

夏の凪の日の日没には
岬の展望台から狼煙(のろし)のような煙が立ち
沖にでた漁師には見えるけれど
陸からは見えないのだという

熊笹の女
しび しび と歌い
ときおり コリコリと齧る音をたてる
鮭の骨だろう
いや人の骨だという話である



*しびの岬の伝説…北海道乙部町に伝わる実際の伝説。しびはマグロの古名。しびの岬の主は大蛸で海が時化ると蛸の祟りと恐れられていた。しかし、あるとき江差の鴎島に嫁に行って海は凪いだという。
*鴎の鳴く音に ふと目をさまし あれが蝦夷地の山かいな…民謡江差追分の一節。
#黒筒の熊五郎

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