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現代詩の小箱 北野丘ワールド

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閑静な住宅街の禁足地 切り株

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消防署が近いので、すみません家の犬がうる
さくてと向かいの奥さんに声かけられた。い
えいえそんな、アパートに住む奥さんは答え
た。火事ですか救急ですか。近づいてくると
高くなる狼の音域。人は逃げ、犬は目覚めよ。
おおおんと真似ると夫が笑うので、さらにオ
クターブをあげ玄関をでて犬と合唱する。

違法駐輪自転車の一時保管場所になっている
隣の空地は高いフェンスに囲まれている。草
刈りに来た人によれば、役所が借り上げて管
理しているんですわ、地主さんが使うとなれ
ばあれですけど、らしい。春先の雨でスギナ、
ドクダミの繁茂、アパートの影が短くなれば
ヒメジョオン。昼顔。へびいちごの赤い実。
やがて蔓がびっしり。

草が刈られてカラッポになった。そうしろと
いう形にしか思えない眼前の網。だしてくれ
え、こうだな。俺は何もやってないんだあ。
これ奥さんと夫の声、声がする。俺をだせ。
振動が手を離さない、止まらない。背後から
夫の熱い掌が奥さんの両腕を掴んだ。今夜は
無風。

  遠い彼方で
  湯のように黴の匂いがゆらいだ
  ごっそりと みずからを引き千切り
  ほろほろと赤土を零し
  岩盤に喰らいつき
  蛸となり
  青く燃えながら光る断面が直進していた

ちょっと眉をしかめ、寝息をたて始めた奥さ
んを覗き込み、こいつは寝顔が一番いいなと
思う夫が読書灯を消した。

  アパートのドアをがさり
  箒がさするような音がする
  奥さん…
  いま、はーい。いま何時なの
  うつつに思うと
  奥さんの口が「夜中の三時」といった
  武蔵野の面影と
  名告る切り株が
  隣の奥さん…
  「あなたは何の面影」と聞いてきた

玄関がばんと開き、薄い強力な水膜が進入し、
くるぶしが包囲された。昏い男が台所に現れ
る。皆さがって、彼女は叫んだがのろい再生
音のようにしか口が動かない。実際、逃げる
者はいない。何か飛び、壁に突き刺さった。
銀に光る刃が美しいと彼女は思った。

的確な放擲と感心する彼女の右腕の際に、斧
が光っていた。遅れて到着した戦慄に反転し
斧をぬきとり、渾身こめて台所の窓に放り投
げた。泉の水面のように斧はすりぬけ無音
のまま落ちてゆく。閑静な住宅地、赤い屋根、
その玄関先に光が突き刺さった。

昏い男はまだ眼の前にいた。逃れられない。
切迫が口を衝き、わたしと一緒に、と男の腕
を掴んだ。腕からかなしみが全身にながれ
、わたしの身体に男が入り込み、放電の衝撃の
うちに消えた。

奥さんは右腕をあげていた。ベットから起き
上がると腰から下が切り株だった。寝室から
外までの扉という扉が開いていた。

 「MYおっとはどこですか」
  トイレの好きな夫は
 「といれっと」と答えた
 「隣のフェンス消えてるよ」
 「ほう、鳥さん日記もこれまでですか」

奥さんはゆく。玄関をごそっと這い出し、杭
に張られた低いロープをよいしょ、とまたぐ
とき、切り株の下半身が乱暴に笑った。

小鳥たちの楽園を楽しんでいた武蔵野の老木
はいい香りを放っていた。やがて根こぎにさ
れる生きてる断面を奥さんはなでた。色とり
どりの重機類が集結し言い残すことばをじっ
と待っていた。

切り株に、奥さんは素足で立ち、両腕を水平
にしてくるくる回った。そうして、右上から
左下、左上から、白昼をひらいた。 
#黒筒の熊五郎

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