『黒筒の熊五郎』について
11月
26日
それでたいていは20篇ぐらいでテーマにそって編まれるのだが、次に詩集が出版できるか怪しいので、28篇詰め込みテーマもなく詩集としてはまとまりを欠いている。しかし、他の詩集にはない独自性があるとの批評をいただいている。
大学を出てから詩は書いていなかった。それが30代半ばごろにイメージや奇妙な夢に襲われて、それがいったい何なのかわからず苦しんでいた。そんなある日書店で婦人公論に井坂洋子の名前を見つけた。大学時代に井坂洋子の詩集買ったよなと思い懐かしさに手に取ってみると現代詩投稿の選者をしていた。久しぶりに詩を読んだが、どれも詩になってないように思えた。これなら自分も書けるんじゃないかと思った。今のこの苦しいイメージの氾濫を収める方法をたった一つ知っているじゃないか。そして、15年ぶりに詩を書いてみた。それが「森の子」だった。婦人公論に投稿しようと思っていたが、次号をみると現代詩の投稿欄は終了していた。
宙に浮いた作品を持ってどうしようと思っていた私は「ユリイカ」の前に立った。それを手にするのも大学時代以来だった。選者は入沢康夫さんだった。「詩は表現ではない」という言葉に啓蒙された尊敬する詩人だった。わたしは震えた。入沢康夫さんに読んでもらえるかもしれない。それだけでいいと思った。私の書いたものは詩に値するのか、それが知りたかった。そうして「ユリイカ」に投稿した「森の子」は佳作でタイトルと名前がのった。詩に値したことが嬉しかった。
それから次に「黒筒の熊五郎」を投稿した。これが入選して掲載されたである。文字のポイントがゴシックで20ポイントぐらいに感じられた。それからユリイカへの投稿時代が一年続く。あと入選したのは「熊笹の女」だけだったが、毎号買うたびにどきどきして「ユリイカ」への投稿は仕事も家事もできず読書しかすることができなかった時代の唯一の夢だった。
やがて入沢康夫さんの選も終わってしまい、私の詩作も一段落してぽかんとしてしまった。そして現代詩手帖の告知欄にユリイカ新人賞をとった松原牧子さんが朗読会を開くというのを見つけ神楽坂へ出かけて行った。たった一人で詩を書いていた自分が100%詩人の中へと出かけて行った。そして松原さんの紹介で長谷川龍生の詩塾へと通うことになったのである。詩を介して久しぶりに味わう外の世界だった。