凡人で天才の巫女とは何ぞや。
5月
4日
胡琴の腕は凡人だけど、
霊力は高くて、
村で最高位の巫女にまで登り詰める
柊さん。
彼女の人となりが掴めないと、
美舟の過去も描けない……。
「犬夜叉」と「半妖の夜叉姫」に思うこと⑤~「魅力的なキャラ」とは何なのか~
4月
18日
たぶんこれが、最後かな?
うん、たぶん。
また書きたくなったら書くかもしれんけど(笑)
今回は、キャラの気持ちを信じるや生きたキャラのお話。にも
ものすごく通じるお話。
まずはここで、「半妖の夜叉姫」スタッフのインタビュー記事をご紹介。
半妖の夜叉姫:「犬夜叉」ファンを裏切りたくない 新たな物語を作る覚悟 高橋留美子に学んだ「説得力」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c1e882d8df6ba7378200a2a960da991be0950c3
えっとっ……。
タイトルだけ読むと、
散々、ファンの気持ちを踏みにじった方のセリフとは思えない(笑)
でも、中身を読み解いていくと、
なんとなく、視聴者の認識との乖離が
見えてくる気がする。
>>>『犬夜叉』のキャラクターが愛されるのは、
>>>留美子先生が年月をかけて愛して、
>>>作り上げてきたからだと思います。
う~ん。。。あのですね。
犬夜叉のキャラクターを
愛して作り上げなければいけないのは、
夜叉姫制作陣も同じなんですよ。
むしろ、夜叉姫制作陣は、
留美子先生以上に、
愛して作り上げなければいけないかもしれない。
それが、犬夜叉の世界観を、キャラクターを、
使わせていただくということです。
けれど、それが感じられないから、
ファンは怒りや悲しみに震えているのです。
>>>犬夜叉ファンの方々の期待を裏切りたくないので、
>>>どういう形で登場させればファンの人たちが
>>>納得して見てくれるか、違和感なく入ってくれるか、
>>>どんな落としどころにすればいいかというのは
>>>すごく気を使っています。
>>>ある程度期待感を膨らませて、
>>>少しじらそうかという。
>>>じらされすぎると離れてしまうし、
>>>かといって情報を出しすぎてもいけないので、
>>>そこの駆け引きを大事にしています。
個人的に、ファンの視線を意識しすぎて、
失敗したな、という印象が強い。
どうすればファンが食いついてくれるのか、
どうすれば離脱せずについて来るのか、
そればっかりにご執心で、
肝心なことが置き去りにされている気がする。
結果、どんどんファンが
離れていきましたっていうね(笑)
>>>今回の3姫はスタッフがちゃんと愛情を注がないと、
>>>みんなが好きになってくれないんだろうなと、
>>>かなり覚悟してやっている部分ですね
物語のキャラクターは、
読者や視聴者に愛されるために生まれてきたわけじゃありません。
物語の中で生きるために生まれてくるんです。
彼らは彼らなりに、
自分の人生を、必死で生きているんです。
だからこそ、「物語」が生まれるんです。
「ドラマ」が生まれるんです。
そして、読者や視聴者は、
そんなキャラクターに「共感」するんです。
「愛着」を持つんです。
「嫌悪」するんです。
「泣く」んです。「笑う」んです。
「怒る」んです。
そうやって、「感動」が生まれるんです。
そこを、履き違えている気がする。
もっとも、キャラの全部が全部、
必死に生きていたら、
見ている方も疲れるので(笑)
場を和ませるための
マスコット的な位置づけとして、
登場するキャラももちろんいると思います。
でも、全部が全部、
そうじゃないでしょう?(笑)
「このキャラを好きになってもらうために、
この話を入れよう!」とか、
「親世代を見たがっているだろうから、
見せてあげよう」、
「でもあまり見せすぎるといけないから、
ちらっとねvv」とか、
なんか本末転倒な気がするんだよなぁ。
物語の構成として、
それが本当に必要であれば、
チラ見せも焦らしも、掘り下げも、
全然問題ないんだけど。
むしろどんどんやってほしいところだけど。
夜叉姫の場合、
「とにかく視聴者を惹きつけること」が
至上命題になってしまって、
物語が物語である所以が
置き去りにされている気がする。
もちろん、一般に公開されている作品である以上、
視聴者がいてこそ成り立つものである以上、
視聴者の視点を意識することは大事です。
けれど、夜叉姫制作陣はそれをしていない。
「視線」ばかり気にして、
「視点」を大事にしていないんです。
それはキャラに対しても同じ。
キャラに向けられる「視線」ばかりを気にして、
「キャラの視点」を大事にしていないんです。
>>>例えば、とわは男装をしているキャラクターですが、
>>>なぜ男装をするのかという理由付けとして
>>>『昔、女の子の格好をして嫌なことがあったから』
>>>『スカートを切られてしまった』という話も出たのですが、
そういうことが出る時点で、
キャラの視点に立っていない気がするし、
ストーリーテラーとして、
物語を俯瞰する視点も欠けている気がする。
いや、その設定が本当に必要であれば、
別にそれはそれでいいんだけど。
「半妖の夜叉姫」という作品の中で、
それは本当に必要か?っていう視点と、
とわ自身の視点の、
両方が欠けている気がするんだよね。
>>>留美子先生は『そういうところで理由付けするより、
>>>ただけんかしやすいからでいいんじゃない』
>>>『そこを深掘りするよりも、とわというキャラクターの
>>>軸をしっかり作ってあげたほうがいいんじゃない?』と。
>>>その子が持っている根底のもの、
>>>それに見合った言動がリンクしないと、
>>>先生は納得してくれないんですよね。
>>>ロジカルな考え方をされるので、
>>>こちらは納得せざるを得ないんです。
>>>キャラクターとして説得力があるということを
>>>すごく大事にされている
すごく重要なことを教わっているはずなのに、
結局は留美子先生の視線を気にしているだけなんだろうなぁと。
「どう見られるか」ばっかり気にしてるから、
キャラが生きてこない。
「物語の装置」としても機能しない。
結果、不自然な言動ばっかりで、
ブレまくりのキャラが出来上がってしまったり、
行動原理が摩訶不思議で共感できないキャラが
出来上がってしまうのです。
上辺だけで中身のないキャラが
出来上がってしまうのです。
これでは、「多くの人にキャラを好きになってもらう」ことはできません。
順番が逆なんです。
愛情の注ぎ方が違うんです。
「みんなに愛されるために、
自分たちが愛さなきゃ」とか、
「こういう風に描けば、
こういう風に見てもらえる」じゃなくて、
「このキャラの視点に立てば、
こういう風に動くだろう」って視点と、
「物語の展開上、このキャラが
こう動くことは必要だろう」って視点。
そして、「読者や視聴者からすれば、
こう見えるだろう」って視点。
それら全てをうまく組み合わせて初めて、
魅力的なストーリーや
魅力的なキャラが生まれるんです。
私はそう思います。
コネクト~闇の先にある青い空~
4月
11日
後半戦のエンディングテーマに良いんじゃないかと、
勝手にそう思っている。
キャラの気持ちを信じる
3月
30日
物語の中で、
どのキャラをどう動かすのか。
それを頭で考えるのは
すごく重要なこと。
考えなくちゃ、物語は動かせない。
時にロジカルに。
時にシステマティックに。
だけど、それだけじゃ物足りない。
作者の思わぬ方向に
キャラが動いてくれた方が、
物語がおもしろくなることがある。
正直、「え?そっち!?」って思うけど、
キャラの思うようにさせてみる。
そうすると、意外とおもしろい方向に進んでいく。
これこそまさに、
キャラが「生きている」ってことなんだと思う。
かの高橋留美子先生も、
犬夜叉のラストを描くにあたり、
かごめに戦国時代と現代、
どちらを選ばせるかで迷ったときに、
かごめ役の声優、
雪乃五月さんに聞いたらしい。
かごめなら、どうしたいかと。
戦国時代で生きていきたい、
という彼女の言葉を受けて、
かごめは戦国時代で
生きることになったとか。
私のタカマ二次小説「廻り舞台と紡ぎ歌」でも、
キャラの言動やストーリー展開を
あれこれ頭で考えている一方で、
時々、キャラの好きなように
動いてもらっている。
そうすることで、
物語が思わぬ方向に進んでいく。
昔はそうやって動いてくれるのは
那智だけだった気がするけど、
最近は他のキャラも
動いてくれてうれしい。
特に泰造は、
以前はコミカルなシーン以外では
動かしづらかったんだけど、
今ではシリアスな場面でも
よく動いてくれるようになって、
すごく頼もしい。
これも、「取り残された世界で君と見たものは」で
彼の深部に触れたおかげかなぁと。
キャラに生きてもらうためには、
そのキャラをよく知らないといけない。
半妖の夜叉姫は、
それができていないんだろうなぁと思う。
視聴者をいかに引っ張るかに夢中で、
キャラの気持ちに全く寄り添っていない。
凱風師匠のあんな死に方、
もろはが望んだの?
とわやせつながいるから大丈夫!!って、
本当にもろはがそう思ったの?
単なる制作者側の都合じゃないの?
とわが理久を好きなのも、
三姫が麒麟丸と戦っているのも、
殺生丸がやたらと「剛臆の試し」とやらを
やりたがるのも、
弥勒が修行に励んでいるのも、
りんが泣いているのも、
時代樹の精霊が桔梗の姿で現れて、
それ以降、全く姿を現さないのも、
重要なことを知っていておかしくないのに、
なぜかだんまりだったり、
意味深な発言は思わせぶりで、
実はとんちんかんな言動をする楓婆ちゃんも、
行動原理が意味不能な
麒麟丸陣営も、
全部全部、制作者側の都合じゃないの?
ちゃんとキャラの気持ちに寄り添えている?
耳を傾けている?
とてもそうは思えないけど。
だから声優さんも、
気持ちを作るのが大変だったんじゃないかな。
とわ役、「この音とまれ!」の妃呂先輩だと知って、
超おどろきだよ。
妃呂先輩にはめっちゃ好感持てるのに、
共感できるのに、キュンキュンするのに。
腹黒かった過去さえ、
切なくて狂おしいのに。
なぜとわには、
これほどまでに感情移入できないのか。
うん、わかってる。
脚本が悪いからだ。
フィルタリング
3月
30日
「伏線」って何ですか?|王谷 晶
https://monokaki.ink/n/nb68b3a2637f7
>>>要するに、伏線を張るときは常に心に「芸能人と付き合ってるインスタグラマー」を住まわせるのだ。バレたらやばい、でもバラしたい、けどバレないようにしなくてはいけない、あ〜んでも世界に公表しちゃいたい〜! な心情で書くのだ。
めっちゃわかりやすい(笑)
そうなんだよ。その通りなんだよ。
めっちゃくちゃバラしたいんだよ。
でもバラせないんだよ。ああっ、もうっ!!
繰り返された暁に
3月
30日
美舟の過去をどうするかもそうだけど。
この作品そのもののクライマックスを
どうするかについても、
ぼちぼち考え始めている。
クライマックスでやりたいことは
なんとなく決まっているのだけど。
問題は、それをいかに
違和感なく成し遂げるか。
いろんな方向から
素地を整えつつあるからこそ、
かえって違和感が生じやしないかと
危惧している。
「独りよがり」になりはしないかと
危惧している。
だって、○○○の○○で××に△△したら
~~じゃん。(ネタバレになるので自己規制)
あ、そうか。
「独りよがり」にならなければいいんだ。
だから、どうやって(笑)
この記事を書いたことによって、
ほんのちょっとだけイメージが膨らみましたが、
まだ未知数です。
物語の基本は「繰り返し」
3月
28日
「三枚のお札」しかり。
大抵3回くらいはおんなじことを繰り返す。
3回が多ければ、最低2回。
おんなじように見せかけて、
ほんの少し何かを変えるだけで、
その後の展開が変わる。
新たなドラマが生まれる。
「今度はどうなるんだろう……?」
「きっと次こそは……」というドキドキわくわく感が生まれる。
魔道祖師もまさにそうで、
すごく楽しませてもらった。
最初こそ、間一髪で
藍忘機との鉢合わせを免れた魏無羨も、
次はそうもいかない。
ついにふたりが出会うあのシーン。
「来たぁ~~~~!!!!」と歓喜したのは、
私だけではないハズ。
一見、複雑そうに見える物語でも、
案外、分解してみれば、
基本が組み合わさっていることが
多いのかもしれない。
生きたキャラのお話。
3月
22日
いい加減にせえよっ!!って感じだけども(笑)
いやぁ、マジであれ、
反面教師で勉強になるんだわ(笑)
多くの視聴者が感じていた違和感。
どうして、弥勒も珊瑚も楓ばあちゃんも、
琥珀も翡翠も金烏も玉兎も、
犬夜叉やかごめの安否を知らないのか。
知らないどころか、話題にも出さないのか。
三姫の出生や育った過程を知らないのか。
あるいは、知っているのに黙っている?
なんで……?
なんかめっちゃ違和感あるけど、
何なの、これは……?
そう思った視聴者は多いはず。
それはおそらく。
夜叉姫に出てくるキャラの多くが、
自分の出番の時にしか動かない(動けない)、
「ゼンマイ仕掛けのお人形」だったからだと思います。
私を含め、素人はめっちゃやりがち。
目の前で動いてないキャラは生きてない♪
あれ?そんなキャラいたっけ?
わっすれてた~☆
え?メインキャラが活躍している間、
サブキャラは何をしていたか?
何を考えていたか?
そんなもん、考える必要あるの?
だって今、彼らの出番じゃないじゃん♪
目の前にいないんだから、
考えなくたっていいじゃん♪
目の前のキャラ動かすのだけで、
精いっぱいだから、無理だよ~☆
……はい。
キャラが人間として(妖怪としてでも良いけど)
生きていないのですよ。
単なる都合の良い操り人形なんです。
ロボットなんです。
だからね、人間味がない。
リアリティがない。
どこか異空間にいる不思議な
存在になってしまう。
だから、キャラの魅力がない。
外観や声が当時のまま(弥勒は違うけども)で
懐かしいとか、
あらまあ、珊瑚ちゃん、
素敵なお母さんじゃないの♪とか、
そういう楽しみ方はできても、
それ以上の深みがない。
広がりがない。
だってキャラが生きていないから。
都合の良い人形だから。
だから、その持ち味を生かすことも
できないんだよね。