除雪作業にもの思ふ
12月
31日
今朝、7時前から除雪作業。途中、珈琲休憩(5分)して、完了したのが8時半。腕と腰がマジ痛い。あと、腹筋。
昨日は朝に軽く除雪。これは前日の夕方に降った分で15分程度で済んだ。
が、午後1時くらいから雪が降り始め、これは予報通りの大雪。あれよあれよという間に積もってった。こういうとき、夫はいつも仕事で不在だ。
外の様子を見ながら3時頃に一度、その後6時くらいにもう一度除雪。どちらも1時間はみっちりかかった。除雪機は使わずショベルで。除雪機、わたしはいつも始動させるのに手間取る。アウトレットに繋いでボタン始動出来るタイプなのだが、chokeをどっち側にしておくのか毎回忘れてしまっている。その度に図解したものを貼っておこうと思うのだけどいつまでたっても学習しない。そういうわけで、昨日3回、今朝1回の手作業による除雪だった。
昨日、お隣のスーは仕事だったみたいで、帰りが遅かったようだ。いつもなら彼女が除雪作業を始めるのを機にわたしも取りかかるのだが、丸一日留守だったおかげで彼女の家のdrivewayはかなり積もっていた。とりあえず、スーのとこに繋がるsidewalk部分は除雪しておいた。
今朝もスーは除雪する様子がなく、garageも閉じられたままなのでいるのかいないのかもわからない。大丈夫かなーと、ちょっと気にはなったが、自分とこで精一杯。もうヘロヘロで今はもうそり遊びどころじゃない。
それからだいぶ経って、珈琲を飲みながらPC部屋から外を眺めていたらば・・・
高校生らしき男の子たちが4-5人、それぞれショベルを持ってスーの家の除雪を始めた。そのうちのひとりは除雪機と格闘中(雪が重くてうまくいかないようだ)。どうやらスーは除雪作業のために彼らを雇った模様。業者ではなく、近所の高校生だと思う。ここらではよくあることだ。中高生の良いバイト。夏には芝刈り、冬は除雪。
シングルマザーのスーは何年か前に早期定年退職を果たし、今は某ブティック(死語か?)でパートタイムで働いている。これまでと全く違う職種で、「新しくて楽しい!」と言っていた。
逞しくひとりで何でもこなすスーはわたしにとってもの凄く頼もしい存在で、マメナシの木倒壊事件、鳥の死骸事件、りすの遺体事件、その他もろもろ、どれだけお世話になったか知れない。極寒の除雪も、スーが黙々と作業する姿を見て、へなちょこな自分に自分で発破をかけたものだ。
でも、そうだよなー、スーももう楽して良いんだよなー、、、、と、しみじみ思う。
さすがに高校生は若い。それに複数での作業だったこともあり、あっという間にスーのdrivewayはすっかり除雪され、高校生たちはそれぞれ帰っていった。あれでいくら払う契約になっているのやら。今度、スーに訊いてみよう♪
昨日、友人からクリスマスカードが届いた。
こうして、カードを送りあう友人も少なくなった。彼女とは長い付き合いだ。テキサスに住んでいた頃のことなので、もう15年、20年前か@@!驚きだ。
懐かしいあの頃の友人らのことが書かれていた。うち、ふたりは州外に引っ越していき、ひとりはまだ近くに住んでいるらしいが、連絡は途絶えてしまったとのことだった。わたしも、以前はメールをしたりカードを送ったりした。が、相手から返事がなくなり、いつしかこちらからも連絡をしにくくなってしまった。
以前は、相手から返事があろうとなかろうと、こちらの近況を伝えるだけでも・・と思ったりしたが、だんだん、そういうのってどうよ?と思うようになってしまった。返事しにくい事情があるのかもしれないし、単に面倒なだけかもしれない。無理に繋げようとするのはどうなのかな、と思ってしまった時点でアンバランスな感じがして、止めた。また縁があれば繋がるし、そうでなければそれだけのこと。
わたしも年取って環境が変わって色々と思うことも変わっているわけで、それは相手も同じだろうな、と。
そういえば、昨日、授業準備で読んだ文章に「結論を急がない」「まだわからないよね、と考える」ことが大切だということが書かれていた。これと同じようなことを、先のクリスマスカードの友人から教わった。もう随分前のことだ。彼女はいつも思慮深くて、優しくて、全然押し付けがましくなくて、わたしはいつも彼女のことをすごいなーと思って見ていた。わたしのほうが2つくらい年上だったと思うが、彼女にはいつも何かと教えてもらった気がする。いつの日かまた、会ってゆっくり話をしたい。でも、きっとわたしはぺらぺら喋って、彼女はわたしの軽薄な話題に耳を傾けてくれる。そしてそこに意味を見出そうとする。いやいや、意味なんてなーんもないのです。そう思いながら、しまった、わたしはちっとも変わってないじゃないか、と思う。ような気がする。堂々巡り。